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2024年7月12日金曜日

知命の50代。


孔子の論語によれば、40歳で迷うことはなくなり、50歳で天命を知り、60歳で他人の言葉を謙虚に受け止められるようになるという教えがある。

40歳の異名を“不惑”と言い、50歳の“異名”は知命といい、自分の人生が何のためにあるかを意識するようになるとのこと。「不惑」という意味を完全に間違えて使ってました、猛省。

自分の人生は何のためにあるか?と、その人は気づいてしまったかもしれない。
話を聞けば、それまでも十分に活躍されていて側から見れば・・・と言う感じだけど、人は見かけによらぬもの。(もっと役に立てるんじゃないか?)と思われたのかも。
本人曰く「そもそも、
“そんなコト”を考えたこともない性分」だったと、感化された自身に驚かれてた。

50代と言えば家族のこと、仕事のこと、自分のコトなど色々と背負い込み、“そんなコト”を考えても、日常に忙殺されて、いつの間にか忘れてしまうのがオチかもしれないのに、超えてまで新しいコトを始めるって素晴らしい。

そもそも、その人を“そんなコト”へ感化させた人がスゴいんだけど、何かの呪術をしたわけでもなく、純粋な熱量が伝わったわけで、それは【アウトプットではなくアウトカム(自分たちがするコトではなく、したコトで創出される価値)】に感化されて、そんなお二人を前にエール。

希望を運ぶ二人。これから共感者は増えていくと思われ、知命の50代はカッコよかった件。

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