そして、人は限界を超えると本質というか本性が現れるみたい(≒うわべの飾り、他人との比較は無意味とわかる境地のよう)。
フィクションじゃないし、余計な演出もないからストレートに伝わり、涙が出る(何の涙だろう)。
フィルム・コミッションに携わっていると、テレビ番組づくりの姿勢や質が問われてると心底思う。
真摯に視聴者のニーズを掘り起こして提示する内容もあれば、その辺りに転がっている情報を真実かどうかの検証もせずにタレ流す内容もあって、情報リテラシーの必要性は制作側だけでなく、見抜けない視聴者にもあるんじゃないか?と思ってしまうほど。
見抜けない理由の一つに「調べることを放棄してしまった。」こともあるけど・・・。
「世界は変えられないけど、一人の世界は変えられる。」は、最近考えさせられた言葉。
ココ大付属学園の子ども達は、成長につれてココ大付属学園や私たちのコトを忘れていくけど、誰と遊んだかよりも、何を感じたか?の方が大切と思うからOK。
「私が小学生の時、インチキっていうヘンなオジさんがいてさ・・・全てインチキだったから色々と考えさせられたわー」なんてサイコー!
ココ大付属学園の子ども達は、成長につれてココ大付属学園や私たちのコトを忘れていくけど、誰と遊んだかよりも、何を感じたか?の方が大切と思うからOK。
「私が小学生の時、インチキっていうヘンなオジさんがいてさ・・・全てインチキだったから色々と考えさせられたわー」なんてサイコー!
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