何も考えずに噴水を見れば、水は延々と湧き上がっては溜水に戻り、次々と湧き上がる。
一連の動きは繰り返しだけど、実際は人間の目では見えない・識別できなミクロレベルでは、一つ一つの物質は独立(例えると、噴水の水は輪切りの連続イメージ)で、自然条件や時間軸などによって「前後上下左右が次の動きと繋がっているように見え、連続しているように認識してる」だけ。だから、連続のように見えても同じ動きは起こらない。
これを「連続の非連続」と言うことができる。
この「連続の非連続」は「生きる」にも当てはめることができて、「一昨日も昨日も何もなかったから明日も明後日も何もないだろう」的な意識は「そう願っても明日が訪れる確実性は0%で、明日は何が起こるか誰にも分からない」が現実。
(何をそんな大袈裟に・・・)と思い滑稽に聞こえるかもしれないけど、自然災害や事故や事件など、想像すらしない事柄が明日(数時間後かも数分後かも)かもしれないは、大切な意識と思う。
昨日までは変えられないし、明日も不確定だと消去法でも「今しかない」となる。
それなら「今日が少しでも良い日になるには・・・」と思うのは当然で、そのために自分が機嫌よく過ごすにはどうしたらいいか?と考える(「考える」が仕事だから良し悪しはある。)
基本的に、この世の中はコンチクショーと思っているからこそ「どうやって楽しんでやるか!」と抗いたくなる。“いつか”はこないけど、今はある。
(何をそんな大袈裟に・・・)と思い滑稽に聞こえるかもしれないけど、自然災害や事故や事件など、想像すらしない事柄が明日(数時間後かも数分後かも)かもしれないは、大切な意識と思う。
昨日までは変えられないし、明日も不確定だと消去法でも「今しかない」となる。
それなら「今日が少しでも良い日になるには・・・」と思うのは当然で、そのために自分が機嫌よく過ごすにはどうしたらいいか?と考える(「考える」が仕事だから良し悪しはある。)
基本的に、この世の中はコンチクショーと思っているからこそ「どうやって楽しんでやるか!」と抗いたくなる。“いつか”はこないけど、今はある。
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