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2017年6月9日金曜日

勝手に批評。

こよなく愛する「キース・ヘリング」。その延長にいる「ジャン・ミッシェル・バスキア」も好きなら当然「バンクシー」も気になってしょうがなかった。そこに友人が「BANKSY does NewYork」を貸してくれる(友よ〜!)。で、早速鑑賞(息子も)。

鑑賞後に息子と感想を語り合う。一部の人は「Banksy」が持つ作品の価値ではなくて、一夜にして大金持ちになれるという価値に注目している点(映画では値がついたりつかなかったり)。人の心理を操る見事としか表現できない仕掛けに感服した点。社会の無関心の忠告に作品を活用している点。人の欲望がおぞましいほどむき出しだった点。そしてBanksyは画家ではないのでは?という疑問点。こう書くのもBanksyの術中にハマっている点。「リアルポケモンGOだね」と息子、ほんとバンクシー狂想曲。

「グラフティ(落書き)」をメッセージを込めたアートに昇華させた点はアーティストというよりプロデューサーのよう。で、映画を見るまでワクワクしたけど、見終わったあとに「作品に想像できる余白がない(メッセージ以外想像しにくい)」ことに気づき、なんだか冷めちゃった(涙)。その点、キース・ヘリングもジャン・ミッシェル・バスキアも作品をみるだけで想像が掻き立てられるというか、ワクワク感があるなーと改めて偉大な二人に惚れ直す。

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