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2021年12月7日火曜日

猛省しながら物申す。


ワンウェイでランデブーな場所を探しています。リモートになりますがリサーチをお願いします。」(ランデブーって何だっけ?)と調べたら「落ち合うこと、ドッキング」とのこと。「ビューがオープンでクリスマスシーズンに映える場所はどこですか?」「アプローチかけますのでフォローをお願いします。」「イメージはフレキシブルなので色々なアングルからアドバイスをお願いします。」などなど。

カタカタ多過ぎ!分かったような分からないような、やり取りに飲み込まれてしまったから、求められる資料を整えようとしてもフワフワしてまとまらない、いただいたシュトーレン、モグモグしてたら全部食べちゃったよ!イメージもなく、全て文字と喋りだから受け取る側の想像力頼みの相談。これまでの経験から大抵、このような撮影の相談はボツになる。なぜなら、相談者自身が分かってないから。

それとも、私の頭がカチコチになり考えに柔軟性がなくなってしまったのだろうか。一歩間違えば、ルー大柴のよう(でも、あの人は意図的と思う)にトゥギャザーでシンキングしようぜ!と、なってしまうのか。世代の違いなのかな?「コンタクトはいつでもOKです」など、思い出すだけで、カタカナワールドに吸い込まれてしまう。アウトプットはアウトカム命!とか言ってる自分を猛省。

2021年10月16日土曜日

失敗は財産。


「ロケハンの日付を間違えた→
度重なる変更で最終の確認不足」「セミの大合唱で撮影が中断→ロケハン時に夏のセミの鳴き声まで想像できなかった」「実景撮影の時、景色が変わっていた→周辺予定の確認不足」「撮影数日前から工事が始まった→周辺予定の確認不足」「地元の名士と名乗る人から“自分に話がない!”とクレーム→周囲への配慮不足」「写っては都合の悪い人が写り込んでいた→全くの想定外(その人の個人的理由)」などなど・・・。

上記は全部、私が撮影支援をした中で経験したことです。その瞬間はゾッ!として顔面蒼白だったと思うけど、タダでは失敗しない!自分の失敗経験を解放して悩めるFC担当者の気持ちを少しでも軽くできたのなら嬉しい。一度だけ傍若無人な撮影隊へ「帰って欲しいです!」と職場で吠えたら、当時の上司になだめられた経験もあり。ホント、FCって撮影隊の応援団でもあり、地域を守る役目もあり狭間で揺れる時あり。

誰もがする失敗をそのまま放置ではなく、失敗を引き起こした原因を明確にすれば、失敗頻度は少なくなるし、失敗しても軽減される可能性大。その際、「”原因が及ぼす撮影の影響”と”原因が引き起こす問題の発生頻度”」の二軸から、対処すべき優先順位と対処方法がある程度分かるので参考にする。と伝える。失敗談を並べるだけなら楽しいだけ。失敗をどう生かすかでFCの支援品質は向上すると昨日の研修振り返り。

2021年10月12日火曜日

やばいリーダー。


時に近づき、時に俯瞰して分かった一つに、当人は無意識かもしれないけど「同調圧力」的な意識を植えつける【勘違いリーダーは罪】という話。適切を超えた振る舞いは「エゴ」でしかなく、自分一人で成し遂げたと勘違いしてしまい、組織や事業を自分色に染めてしまう輩。すると同僚や部下も、そんな色に染まらなければならないと忖度してしまい、自分たちはスゴいと、勘違いするのはタチが悪いとしか言いようがない。

不幸にも染まると「エゴが標準化」し、勘違いリーダーは「私ができるのに、あなたはなぜできないのか?」と、自身のモノサシを強要して、できないと見下す。コケにするのは人から組織にまで及んでしまう始末の悪さ。周りが止められなくなると自制もできなくなり行き着く先は退職とか異動。そんな結末を迎える前は大抵、胡散臭いことをしていることも多く、実際にしていたと知る。

何も知らない周りからみれば(スゴい!)と思われ、時にカリスマとも称されるかもしれないけど、実際は困った人でしかなく「裸の王様」なのに・・・。助言してくれる人もおらず、周りも去ってしまった残念な人。そんな人にならぬよう先頭であってもトップではなくセンターという意識に敏感なのかもしれない。そんなリーダーについて行かざるを得なかった人たちが可哀想で・・・。

2021年9月14日火曜日

アニメ化はどうか?


「『がんばっていきまっしょい』をアニメ化したらいい!」との意見、考えもしませんでした。FCとして想像力がおよばず猛省。アニメも撮影支援対象に入ります!とさんざん言っておきながら、また、今年は京まふで「アニメツーリズム協会の“アニメ舞台探訪マップ展”に協力して全国のFCに「アニメ作品のロケ地マップがあったら提供して!」と言っておきながら足元を見ていなかった!

ボートの練習をする湖面はキラキラ輝き、周囲は木々が生い茂ってるだろうし、海での練習は夕方で海面は黄金色かな?部活帰りに立ち寄るのは「うどん」になるのか?それとも「お好み焼き」になるのか?プロダクトプレイスメント的にも聖地巡礼的にも重要。そもそも制服はオリジナルを参考にするか否か(ドラマ版で主人公たちが着た制服エピソードがある)学校には必ず“渡り廊下“と“外廊下”を入れて欲しい。屋上でもいい。

主人公たちが願を懸ける神社も欲しい所、やはり階段を登ると構える伊佐爾波神社は外せないか?恋愛が入って“すれ違い”を表現するなら、土手の自転車、路面電車のすれ違いで視聴者をヤキモキさせてほしい。ライバル校は主人公が通う高校よりスマートでカッコよくなければならないので(そうしないと物語にメリハリがつかない)エリート校か?そして、脇道のコンクリで見つけた「ネコの足跡」は主人公にしか見えないお守りはどうか。

2021年9月5日日曜日

同じ轍をふまないように(猛省)


調子にのって確認をしなかった私の落ち度です。(ひょっとして、土曜日もテレワークってあるのかな?)と思ったのがきっかけでと検索するとあった!それも追加料金を払えば温泉付!と分かり、(こりゃ、作業が進むぞ〜)とワクワクして(せっかくだから徒歩で行けば健康的だし、到着したらシャワーを浴びてスッキリ気分で仕事も快調!仕事終わりは温泉だ!)と、ウキウキでウォーキングを兼ねて出発!

1時間ほど歩き汗ビッショリで到着すると「休館日」の看板。(あれ?)と思い館内に入ると「休館日なので温泉はナシ、部屋にシャワー、バス無し」とのことで全ての予定が崩れ去る。ホテルに落ち度はなく、全て私が確認しなかったせい・・・。汗だくだったので顔だけ洗い、作業開始。部屋は広く天井も高い!自宅で作業するよりも何倍も快適だったのは間違いナシだったけれども・・・。

成果は予定していた作業はひと段落し、次の作業がしやすくなったこと。14000歩ほど歩いて累計で90万歩に到達したこと。自宅作業より気分転換できたこと。
反省は調子にのって勢いで確認せずにテレワークプランを予約してはいけないこと。テレワークの仕様はそれぞれ異なること(考えれば当然のこと)。また一つ学びました。道後公園のハスの花がキレイだった(花は朝は咲いて夕は閉じるのね)。

2021年8月16日月曜日

ウケなかったもの三選。

前半戦が終わり今日から後半戦のホイッスル。振り返って、子ども達にウケなかったものを備忘録として残す。ウケなかったもの①【なぞなぞ】は子ども達とのコミュニケーションに最適と思ったけど不発だった・・・。その理由は「低学年の場合、漢字が読めない。言葉の意味が分からない」ほか、男子の場合は「正解ではなくどれだけ不正解で笑わすか?」が優先されることが分かった。もちろん、好きな子もいたけど・・・。

ウケなかったもの②【ペーパークラフト】「切って、塗って、組み立てて、貼って、乾くまで待つという一連の過程が面倒」「創作過程や完成したものが自分のイメージと違いガッカリ、諦める」と分かった。やはり“すぐ”に成果が見える!や”イメージ通り”が欲しいと言うのがニーズのようで、一理あるものの、創作過程から感じること、リカバリーの醍醐味を感じて欲しいなと思ったり。もちろん、ペーパークラフトが好きな子もいた。

ウケなかったもの③【本の読み聞かせ】は、良かれと思いシルバーさんにお願いしようとしたけど、子ども達側から拒絶・・・。理由は「学校で散々聞いてる、退屈など」でNGとなる。かといって読書嫌いか、と言うとそうでもなく、2階から本や漫画を借りて読みまくる子もいるよなと。写真は子ども達が私を相手に授業をしてくれると言うので待機中。こんな雰囲気が好き。

2021年7月29日木曜日

【4日目】おいしいお弁当を見て猛省。

自宅にTVがない(そして冷蔵庫も未だない)生活なので、東京オリンピックの話題に全く乗れず。選手には色々な思いがよぎっていると思うけど、ベストを尽くしてほしいと市民感情。その一方でオリンピック以上に感情移入しているのが、もはや競技と言ってもよく、五輪と引けを取らないと思うのが「保護者による昼食づくり」。日常に埋もれているけど、競技の域に達していると思うのは私だけか?

「献立による栄養や彩りの作戦」から始まり「時間との勝負の調理」そして「子ども達が食べきれる量や数を塾考したレイアウト」、最後は「デザートを別に用意したり保冷剤を入れてフィニッシュ!」子ども達に「お味はどうですか?」と尋ねると「おいしいー!」と微笑む子もいれば「えっ!?フツー」とはにかむ子もいる。お弁当の容器も楕円形、正方形、長方形から二段重ねなど、カラフルだし見ているだけで面白い!

相変わらず「これ、食べて!」と果物やゼリーを子ども達から頂いてます(丁重にお断りしてもくれるのです)。こども達のお弁当写真を撮っては自分の食生活の貧祖さを猛省してます。そんな子供達ですが、競技中である「昼食時間」は突然静かになりますが、競技終了後は食べたことなど忘れたように弁当を忘れて帰ります(笑)。競技者である保護者の茫然自失の顔が思い浮かびます。せめてもの対応として忘れられたお弁当は冷蔵庫に入れて保管します。

2021年5月30日日曜日

イチイチややこしい奴。

一人暮らしの強い味方の「レトルトカレー」は、この域まで到達しているのかと。「手間いらずな便利」でボンカレーなど、カレー自体を先ずは手軽に。次にLeeなどで「辛さや量などで他社との差別化」が行われて、各地域が(あれ?自分たちが食べてるカレーって他のカレーと違んだ!)と気づき、「ご当地」を前面に出した「ご当地カレー」が大爆発。自衛隊などもカレーを出すほどの熱になる。

そして、カレーは「教材」となる。5月29日付日経プラスワンで「学校発レトルトカレー」が紹介されて、久万高原町の上浮穴高校の森林環境科の生徒が考案した【まろやか高原カレー】が第4位となっていた。紹介されていた10種類の学校カレーのうち、【まろやか高原カレー】だけが緑色。てっきり“ほうれん草の緑”と思ったらピーマンで“規格外のハネもの”の活用にも繋がっているとか。地元企業が協力していて素敵!

以前、上浮穴高校からいただいた「クロモジ」のオイル、(貴重という説明を受けて)大切にチビチビ使ってます。記憶が確かなら野村高校(野村町)とか三崎高校(伊方町)でも特色ある授業をしてたような。でもレトルトカレーって一つ550円とか600円がフツーなのね、800円のもあるのか!オジさんなんか一人だからカレーを作ることはない。だからスーパーで4個600円とかのカレーを買っちゃうのさ。

2021年5月28日金曜日

また一年、踏ん張ろう。

スヌーピーの言葉が沁みた人のなんと多かったことか(笑)。私を含め、カサカサしてる人が多いのね。まぁ、こんな状態が一年以上も続き、この先も好転材料が乏しいとなれば干からびてしまうのも当然か・・・違う!妙に物分かりが良すぎるのは日本人の美徳か怠惰か。慣れとは恐ろしいもので、ホント上(あが)るのは大変だけど、下(くだ)るのは惰性でいけるからな。無意識だと本当に堕ちてしまう。

ココ大の第11期総会が終了。昨年度はコロナウイルスの影響を受けて赤字でした。経営者が名を連ねる理事会は「大丈夫!」と言ってくれたけど、強い精神力を持たず、免疫も持たない私はオロオロするばかり。ただ、今年度からほんの少しずつ改善するだろうと言う見通しが当分のモチベーション(1週間で忘れてしまうが・・・)。【攻めは最大の防御】は経営のモットー。きっと今年度も突然、色々と話があるだろうと。

でも、授業というココ大最大のウリが全くできなかった中で、授業以外でも稼げるコトが分かったのは大きな収穫。NPO法人は収益力が弱いと言われて久しく、授業以外に収益の柱を育てつのは急務で、その芽がちょっと出た感じ。これから大切にしないと、直ぐに枯れそうだし栄養も与えないといけない。「中長期ビジョンが必要です。」という助言、人にはアドバイスしておきながら、自分になると曖昧になるから猛省。

2021年4月22日木曜日

これをアイデアキラーと言う(猛省)

あぁ、W氏と年始に約束したことが年度末になり、年度始めとなり、はやGWが迫っているではないか!寄稿文などは締め切りが明確なので書き始められるのに、いざ自分で決めたことは先送りするダメ人間。フィルム・コミッションに着想を得た物語は生々しすぎて(ノンフィクションのよう・・・)と手が止まる(私がパトカーに乗せられて東署に連れて行かれたのはまだ序の口)エグい輩がいるからね、と同じ穴のムジナ。

フィルム・コミッションではオチが描きにくいので、NICECREAMの物語の方が夢があるかも(笑)。NYで妻と娘が偶然に出会い、そこに私が参画してゼロから始まり、手探りで始め(このパートだけでも七転八倒と思う。)その後出会った方々は、これまでとは全く異なって、まさに「物語に出てくる登場人物」のよう。親切に近寄ってきたかと思えばトンズラしたり、こんなに親切な人がいるの?と思う人が本当にいたり、世の中はコンチクショーですが捨てたもんじゃないと。

想像よりもノンフィクションの方が面白い(いや、正確に言えば先が見えない不安と期待か)から変に脚色すると面白さが半減するかも。その昔、初稿は切れ味鋭く尖った物語にワクワクしたのに決定稿は切れず鈍く中途半端で改悪した物語を知っているだけにな・・・。
この「いかにも正論に聞こえるできない・しない」屁理屈を【アイデアキラー】と言う。頭だけで考えて結局何もしないただの自己都合。猛省。

2021年2月16日火曜日

気づきから猛省。

待ち合わせ場所のスタバでアイスコーヒーを頼んだら、写真の通りに出てきて(おっ!)と思ったので「ちょっと、写真撮らせてください」と伝えてパチリ。「世界で年間10億本のプラスチックストローを減らす一歩」というメッセージが目に入るよう商品を置いたスタッフ。研修が行き届いていて素晴らしい(←そこじゃない!)。10億本とは1日27万本超、1分間で188本の紙ストロー化、10億本が達成できたら“プラスチックカップ”も変わるのだろうと推察。

米コカ・コーラがプラスチック容器の廃止に向けた長期計画の一環として紙製ボトルを今夏からハンガリーで試験利用とのこと。最終的にはプラスチック容器を一切使用せず、再利用できる紙製ボトルへ2030年には移行させて廃棄物ゼロにする。
柑橘ジュースも「紙製ボトル化」を考えられないか?と意見を何度も交わしたけど「1000mlの紙パックがあるよね」「180mlのカートン缶があるじゃない」など指摘されて撃沈したのを思い出す。

SDGsなのか、危機意識なのか分からないけど、大企業が取り組めば認知度も波及効果も期待できる。じゃあ、大企業しかできないのか?と言えばそうではなくて中小零細企業もできるはずだけど「手間やコストがかかります。」と“理想と現実”を指摘されたのを思い出す。「それで飯を喰っている人もいるんだよ、正論ばかりじゃギスギスするでしょ」と諭された当時は(確かに・・・)と思ったけど、冷静に考えれば未来を考えてないよな・・・と反論できなかったことを猛省。

2020年11月26日木曜日

罪な話

「私が味わった“苦労(大変さ)”をアナタも味わってこそ仲間だ!」
という変な考え。いわゆる「壁を乗り越えてこい!」的な考え方を全て否定しないけど厄介に感じた経験あり。特に地域づくりの場合、「地域の一員と認めてもらうため」に、地域が長年に渡って築いた(当人たちは気づかない)高い壁をよじ登って超えろと言う。「コチラも登るがアナタたちも降りて来てほしい」と言ったら、(なぜ?私たちが?)と、居心地の悪い雰囲気になってしまったっけ(涙)

「私たちが参加していいのかと・・・」という発言にハッ!とする。派手な実績を紹介すると、その派手な内容が「基準(そこまで達しないと資格などがない)」と解釈され、その基準と自分たちを比較すると、とても高い「壁」に感じられ凹んでしまう・・・。同じ分野だと比較されてしまい、(勝手に想像した意識の)高い壁を前に(ウチには大した資源も実績もパワーもないから壁を乗り越えるのは無理だ・・・)と諦めてしまう。

そんな「乗り越えろ!」と言わんばかりの壁を100tハンマーで壊している最中。最初こそ怪訝だけど終わる頃には「距離が縮まりました。」「勘違いしてました。」という笑顔をいただいて破壊終了。分かりやすさ、訴求力、ウケの良さから派手な話の方が良いのは承知だけど、話した後の「フォロー」までシッカリとしていなかったと猛省。「アナタが来なさい」ではなく「私が行きます」の姿勢。

2020年6月29日月曜日

悩みの淵にて。

明らかに疲労困憊で憔悴のように見えて、当人は大丈夫じゃないのに「大丈夫ですか?」と言うのは精一杯だった件。疲労困憊な原因は一筋縄ではいかない複雑さで、その複雑さの要因の一つは時間の経過と共に絡み合った因果関係が重層化し「ほどけなくなった」から。ほどけないとイライラキー!となり「えっーい!面倒だ!切ってしまえ!」となり、プチッ!と切ったらそれで全てが終了。これまでの積み重ねは全てパー。

敗戦処理って負のエネルギー(マイナスモチベーション)が重いから負担が大きい。自分の敗戦処理を思い出してしまい、こちらも気が重くなる。「決まったから」と改善や中止を受け入れず、時間だけが過ぎ、やらざるを得ない状況に陥り、不備が多いから案の定、期待された成果は得られず、でも体裁さえ取り繕えば大丈夫という浅はかな考えに嫌悪感を示したら、担当から外されて敗戦処理担当。

「落ち着いたら、ゆっくり会いましょう」と、ほとんど会話にならず、再会を約束したけど、どうようもない時もある。真面目な人ほど「あの時・・」とか「ああすれば・・」とか自分の立ち振る舞いを責めたりするけど無意味。内的要因ならいざ知らず外的要因は自分ではどうしようもない。こういう時は悶々と悩みの淵に陥りそうだから気分転換に散歩、そして遠くを見るのがいいとのこと。

2020年6月24日水曜日

相変わらず猛省

レギュラー出演しているラジオの生放送で不適切な表現をしてしまう。その後にキャスターがお詫びをしてくださり収束したけど、申し訳ない気持ちでいっぱい。「悪意のない、ふとした表現ですから」と、エグゼクティブの声がけに感謝。普段から何気なく使っている日本語だけど、価値観の変化によって受け取る気持ちは個々に異なると猛省。勢いではなく丁寧に話そうと思う。

(マスクが品薄だ!)と4月にマスクを購入したものの在庫ナシで5月に届いたが、届いた品は粗悪品で、耳にかけるゴムが切れたり、中には片方のゴムがないマスクまであり、販売元に問い合わせる。そしてテレビで「中国でマスクの粗悪品が大量に作られている」との映像をみて「あれ、うちのみたい(笑)」と家族から揶揄される。安物買いの銭失いとはこのこと。新しいマスクが届くが粗悪品と同じ見た目が怖い。

内省って大事。自分一人で責任に全て取れるのだったらいいけど、一つの物事には大抵、多くの人がかかわり、そして一つに紡がれていると思うと、自分のパート(パーツ)が粗悪だと全体に影響してしまう。「想像力の欠如」が最たる原因で「自分の振る舞いによる影響を考える必要あり」。そう思いながら前に進まないといけないのも事実で、上り階段を見上げると朝焼けが綺麗だったからパチリ。

2020年5月7日木曜日

知らなさすぎで猛省。

4月7日に緊急事態宣言が発令してから丸1ヵ月、この間に自宅鑑賞した映画などは31本以上。1日1本を目標にコツコツと観る(この調子で腹筋や腕立てもすればいいのに・・・と思うけど、それはできない・・・)。ちなみに我が家はAmazonPrime、NetFlixにも入っていたけど今はPrimeのみ。1ヵ月観た感想は?と問われたら「作品の存在を知らなすぎる!」と言わざるを得ない・・・。

ドキュメンタリー好き、なおかつ現代美術好きなので「バンクシー・ダズ・NY」を観たら「第83回アカデミー長編ドキュメンタリー賞ノミネート」で「バンクシー初監督作品」と聞いたら観ずにはいられなかった「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」は、バンクシーの作品と同じテーマである“虚構の価値”が創り上げられていく過程が虚構で面白い。(主人公の才能の無さには笑いが出る)

一部で話題になった「東京ラブストーリー」のリメイクは、眩しすぎて痒くてて観れなかった。広島が舞台のご当地映画「恋のしずく」は、こういう設定、流れは安心して観れる。予想外に面白かったのが「映画版・深夜食堂」、てっきり「孤独のグルメ」と同じスタイルかと思ってた。そしてスタジオ撮影だから美術、大道具・小道具さんの細部にわたる世界観の出し方(汚れ、傷、設置物など)に唸ったり。

2020年4月17日金曜日

通用しないんだ。

すっかりパーソナリティー気分です。緊急事態宣言下だからか南海放送ラジオのスタジオに"透明アクリルの仕切板"が設置されてた!単に板を組み合わせただけでなく下部はケーブルが邪魔しないよう隙間が設けられている優れもの。これで対面で喋っても飛沫しません(ちなみにNHKはマスク着用で収録、某局は窓を解放しながら収録とか・・・)。そう言えばコンビニでもレジにビニールの間仕切りを設けたとか。

「こんな時だからイノベーション!」と相談されて、頭をひねるも出てくるアイデアはどれも革新的じゃない(涙)。なぜか?を考えると「そもそも、考え始めるスタート地点が従来の概念と同じだから」にたどり着く。今の窮屈な状況が終息しても、実は前と同じには戻らない、だからスタート地点は必然と異なる。終息したとしてもこれまでと同じ事業モデルでは通用しない。

事業モデルは3年で陳腐化する。はその通りで、陳腐化は消耗と同意語で追随されて波に飲み込まれて沈む事業、浮かぶ事業、浮かんでも漂う事業、漂っても漕いで進める事業など、どう進化させるか?猛省なのはNPO体質が染み付いているのか?100億円とか1000億円の事業モデルが描けないこと。数十億円の経費を見て驚いた。でもアプリを開発して100億円とかナシ!

2020年4月8日水曜日

相変わらず猛省。

その場にいて臨場感を味わい(よーし!)と意気込んでいたにもかかわらず、何も行動を起こさなかったから何も起こらなかった件。あの時、隣の席や会場にいた猛者どもは一生懸命に考えて提案したに違いない!私はと言うとチャンスだったのに(忙しいから・・・)とか(条件が・・・)とか【できない理由】を並べてしまい猛省。真剣だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出ると誰かが言ってた。

動かないと変わらない。宝くじも買わなければ当たらない(名言!)。経験値の話題はアレコレソレなどで何度もしてきたから読み返す。意外と良いこと書いてるに時々驚く(自分自身の心情なのでダイレクトに刺さるのは当然ですが・・・)。経験をゼロ(放置)のままにするか?イチ(糧)にするか?はこれからで、感じたことを提案書に反映させようと思う。

動けば変わる。動くことによって良い効果や結果が出る時もあれば、期待外れの結果になることもある。「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。」はマザー・テレサ。

2020年3月4日水曜日

複雑で猛省

昨日の猛省は「複雑にし過ぎた点」。初めて会う方への資料を図解で作成したものの「これ、(相手に)分かりますかね?」と指摘される。書いた本人は力作!と思っても第三者が見た時、詳細な説明が必要な資料は不適切ということ。「読む」ではなく「見る」で理解を求めているのに図解した上に「聴く」が更に必要では意味がないよねと。その通りで猛省、つい力が入ってしまいました(涙)

資料が相手に渡った以降、今度は相手が上司や関係者に説明しないといけない点を留意しないといけない。いわゆる「自分ごと化」してもらわないとならず、そこには相手への強制的な「説得」ではなく自らの自発的な「納得」が必要。そう考えると2001年に誰一人知らない人たちへ提案したフィルム・コミッションや2010年作成のココ大の資料はキレッキレだったのか!?と思うと劣化しているかもしれない(汗)。

「複雑が悪いのは理解を遠ざること」だけど、実は作成側にとっては好都合は知られておらず、複雑にすることで「理解を遠ざけるベール」が幾重にも重なり、本質が見えにくくなってしまう。複雑は「それっぽく」見える透明性のない虚構の証。シンプルで透明性がある分かりやすい資料づくりに努めよう!と自戒。複雑な部分は脂肪だ、スッキリと!

2020年2月25日火曜日

勘違いを猛省

ライフワーク化している「地域づくりアドバイス」。こんなのどかな町にもコロナウィルスはやってくるのか?と思ったり。閉じてしまった店々を見ると「負債額1000万円以上で倒産した四国の企業は3年連続で増加(うち、愛媛県内は48件)」というニュースを思い出し(1000万円未満だったら件数に入らないのか?)とか(近所の店がいつの間にか変わってた・・・)と思ったり。

「知られていない愛媛の魅力を発信しよう」と思ってるけど、時々思うのが(いや、知らないままの方がいいんじゃない?)ということ。何もかもを晒すことが善とか正義ではないよね?となる。いつの間にか「知ってる人」と勘違いしてしまい「本当に発信、伝えるべきことは何か?を忘れてる時はないか?」と、連日の報道やポイントがズレた意見に思ったり。そして(あっ!自分もそうだ)と気づく。

数字とか数値も大切だけど、のどかな町に当てはめて話そうとしてもスベるだけ。5年後の話をしても「その時まで生きてるか分からもんね」と笑われるだけ。明日、明後日、相当頑張って1年後どうする?という感じ。目的に向かうならゴールを設定し逆算して無駄なく効率よく目指すのも手だけど、今日、明日、明後日と目の前の充実を積み重ねて過ごす先もあるよねと猛省。

2020年1月1日水曜日

がんばらないけど。

2020年も「頑張らない」宣言の推進。無意識な「頑張ってね!」という言葉が実は相手を追い込んでしまうと身をもって知ったのが2013年2月。声をかけられた当人も無自覚だから心身を追い込んでいることを知らず、最後は体が悲鳴をあげて倒れる。診断結果は腎盂炎。幸いにして2週間ほどの入院で済んだけど「実は危なかったんですよ・・・」との先生の言葉にヒア汗をかいたっけ。

それまでは全てを背負い込んでいたから「仕事に穴」をあけるダメージを気にしていたけど、周りの尽力で乗り切れたことを知ると(頑張らなくてもいいんだ・・・)と思うと楽になり、仕事への考え方も変わったのは事実。それまでは「承認欲求(周囲に認めてもららいたい願望)」という人間の性ではあるけど、認めてもらうために独立したわけじゃなくて自己同一性(アイデンティティ)の実感だよねと。

そもそも「頑張ってね!」と声をかける相手は、それまでも「頑張ってる」ことが多く、今以上に頑張るのは無理をさせるかも?と思うと気軽に言えない。だから「頑張ってね」という代わりに「踏ん張ってね!」と言うようにしていて自分にも声をかける。残念ながら倒れてもフォローしてくれる人はいても病気までは代わってくれない。調子に乗りそうな時こそ自戒。