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| とてもモテたそう。 |
渡されたのは9ページのコピー。泉谷祐勝(いずみたにすけかつ/曽祖父)の記事。
「これは、どうしたの?どこから?」と尋ねると「末っ子くんが国会図書館でコピーしてきたの。」と妻。
ちなみに、コピーの原本は『天狗倶楽部 怪傑伝:元気と正義の男たち』という本の306Pから9ページ。
以前、バラエティー番組「笑ってコラえて」に「日本で最初に(野球の)バントをした人のは私の高祖父です。試合に出場した時、“そんな卑怯な打ち方(=バント)はやめろ!”と、怒られたそうです。」という曽祖父エピソードを披露し、出演した末っ子くん。
自分のルーツに興味があり、末っ子くんに教えてくれたお礼を伝えると、「野球以外でも面白い内容だったよ!」ということで、読み進めると「祐勝は幼少期から海外への憧れをもち、ハワイ移住を真剣に考えていて、アメリカ遠征の時に初めて食べたアイスクリームに感激して、“こんなうまいものはない!”と輸入まで考えた。」という一文があった!
これ、ひ孫の私たち夫婦が体現したことと一緒だ!と妻と笑う(創業経験、アメリカ生活、初めて食べた植物性ソフトクリームに感激して輸入を考えるなど)。DNAは脈々と受け継がれているかも。
これまでは「天皇の野球チーム-スコアブックの中の昭和史-」という本でしか、曽祖父のことを知らず(大正3年に宮内庁入りし、その後に結成した宮内省野球班で参加した第二回丸の内野球選手権大会で勝ち進み、決勝戦で第百銀行と延長15回の末、優勝した。この時、祐勝は監督で一塁選手だった等)。
その後、東京大学野球連盟の常務理事に就任するも太平洋戦争勃発。
樺太、北朝鮮、台湾、中国などを回ったそう。
晩年は宮内省時代に覚えた「菊づくり」と「金魚の飼育」を趣味として暮らし、85歳で人生を全うする。
我々が思う以上に野球に関する資料が多く残されているようで、遺品などは秩父宮記念博物館に寄贈されたとのこと。
そもそも、曽祖父のことをほぼ知らなかった(関心がなかった)し、野球もしなかった。
でも、こうして世代を超えて調べてくれた末っ子くんから教えてもらう。
これ、ひ孫の私たち夫婦が体現したことと一緒だ!と妻と笑う(創業経験、アメリカ生活、初めて食べた植物性ソフトクリームに感激して輸入を考えるなど)。DNAは脈々と受け継がれているかも。
これまでは「天皇の野球チーム-スコアブックの中の昭和史-」という本でしか、曽祖父のことを知らず(大正3年に宮内庁入りし、その後に結成した宮内省野球班で参加した第二回丸の内野球選手権大会で勝ち進み、決勝戦で第百銀行と延長15回の末、優勝した。この時、祐勝は監督で一塁選手だった等)。
その後、東京大学野球連盟の常務理事に就任するも太平洋戦争勃発。
樺太、北朝鮮、台湾、中国などを回ったそう。
晩年は宮内省時代に覚えた「菊づくり」と「金魚の飼育」を趣味として暮らし、85歳で人生を全うする。
我々が思う以上に野球に関する資料が多く残されているようで、遺品などは秩父宮記念博物館に寄贈されたとのこと。
そもそも、曽祖父のことをほぼ知らなかった(関心がなかった)し、野球もしなかった。
でも、こうして世代を超えて調べてくれた末っ子くんから教えてもらう。

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