2001年の正月(確か1/3)、何気なく見てたニュースステーションの特集で「フィルム・コミッション」の特集に(フィルム・コミッションって面白いなー!)と釘付けになり、未来を想像すると可能性しかなくて、今は亡き関係者に連絡すると「フィルム・コミッションを一緒にどうかね?」と誘われ、在籍したコンテルティング会社を辞めて無職に。企画書を書いて、当時旗振りをしていた国交相に送付し、その後、四国運輸局から連絡が来て、愛媛県観光課(当時)を紹介されて、2002年7月に立ち上がった「えひめフィルム・コミッション(事務局:愛媛県観光物産課)」に参画。
愛媛でのフィルム・コミッション(映画・映像撮影の誘致支援)に賭けて、2001年に愛媛県に移住。当時は無職だったからアルバイト(配送会社の倉庫で食品などの仕分け作業など)をしたっけ。収入も少ない中で、どうやって暮らしていたのだろう?と自分でも不思議(思い出せない・・・)だけど、何とか生きてこれたのは周りのサポートがあったから。でも、思い返すと当人には「ワクワク感」しかなかったな(笑)
2011年1月18日、NPO法人いよココロザシ大学認証(登記は1/26)。その前年は松山市の職員(2008-2011年)という立場で、市民大学という新しい可能性について市民との意見交換を50回ほど実施。その中で“いよココロザシ大学”という名前も決まる。前例のない、ゼロな状態から腹をくくった手始めに「学長日記」も始めたのは2011年1月26日。ちなみに「誰でも先生、誰でも生徒、どこでもキャンパス」は検討当初から考えていたフレーズ。
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