「撮影をしたいので紹介してほしい」「お会いしたいので紹介してほしい」「相談をしたいので紹介してほしい」「市民先生を紹介してほしい」など、ココ大や私には面識がある・無いに関係なく依頼が毎日届きます。「介する・繋ぐ」に価値を感じずにはいられない。すると単に「人」だけでなくて「情報、時代、国、記憶など」色々なモノ・コトまで繋がると思ったり。
一期一会かもしれないけど「ご縁」と思い繋いでいます。FBの友達申請も同じ、何を思ってリクエストされるかは分からないけど何かの縁。その後は続く人もいれば疎遠になる人もいます。20年以上を経て復活した縁もありますからね。写真は長女のホストファミリーが彼女の誕生日をケーキで祝ってくれた画。これも繋がりが繋がりを生み国を超えた縁、ありがたい。
それに対して「私は◯◯◯です!」と自らの存在を守る「防御の壁」を築く人がいるけどもったいない。外にある価値や縁にフィルターをかけて精査しているようだけど、実は「築いた壁に自分が外に出れなくなった」のと同じ。時に習得した知識や技術、経験が覆されるかもしれないけど、更新を恐れては成長しない。多くの人と会う中で感じた自分への備忘録。
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