30年前、何者でもない見ず知らずの18歳を引き取ってくれたのは当時、バージニア州で暮らしワシントンD.C.に画廊を開いていた、のちに「アメリカの母」となるおば様で、一緒に来てくれた父は息子をおば様へ会わせると、自分はそのままメキシコへ。18歳男子の米国生活が始まるもつかの間、おば様の旦那さまの「アメリカの父」が倒れてしまい、看護で不在がちになる。18歳男子、電話でピザを注文するも通じず、歩いて店を探そうとするも見つからず・・・。
ある日、おば様が白のRX-7のオープンカーに乗ってきて「買っちゃった」の言葉に驚く。「ちょっとそこまでドライブに行きましょう!」と、その「ちょっと」は数十キロ離れたショッピングモールだったり、紹介していただいた方は当時、ILM(Industrial Light & Magic:ジョージ・ルーカスが設立した特殊効果撮影会社)で働いていた方で、何を聞いたか覚えてないほど興奮したっけ。豪快なおば様のエピソードは尽きない。
その後、私は意気揚々とNYへ行くも中退・挫折。でも、いつも気にかけてくれて面白がってくれた、おば様とおじ様。「えひめフィルム・コミッション」の設立に参画した時、「いよココロザシ大学」を設立した時、そして「ジャパン・フィルムコミッション」の理事長に就任した時は、我が事のように喜んでくれて、日本映画の発展、海外作品の誘致を願ってくれた。何者でもなかった18歳から30年間、行く末を見守ってくれたもう一人の母に感謝。
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