「ポンペイ遺跡は行くべし!」と言われてポンペイへ。ローマから列車で一回の乗り継ぎを経て約3時間で到着、ポンペイに近づくと大噴火(西暦79年)にを起こした山が見えてきた!
すると隣席の男性が「あれがヴェスヴィオ山だよ!」と指差して教えてくれて、手前駅で降りて「チャオ!」とサヨナラ。
それにしても、ヴェスヴィオ山の凹んでいる部分が全部、吹っ飛んだというコト?とあまりにも巨大な山。
10時にポンペイ駅到着し、徒歩数分でポンペイ遺跡の円形闘技場側入口に到着。チケット購入時は「国名」を聞かれる(きっと調査と思う)。早速、中に入るもガラッーンとして人もまばら。
広すぎてどこから見ていいか分からず、片っ端から見ていき進んでいくと、大豪邸跡やパン屋跡、浴場跡など約2000年前の人の営みが今でも鮮やかに残っていて驚く。
2000年前で既にモザイク画やタイル床、フレスコ肖像画や幾何学模様などが生活の一部ってどれだけ余裕があったのかと・・・。
広すぎてどこから見ていいか分からず、片っ端から見ていき進んでいくと、大豪邸跡やパン屋跡、浴場跡など約2000年前の人の営みが今でも鮮やかに残っていて驚く。
2000年前で既にモザイク画やタイル床、フレスコ肖像画や幾何学模様などが生活の一部ってどれだけ余裕があったのかと・・・。
で、西暦79年の大噴火。町の中心広場から見えるヴェスヴィオ山は遠い。あそこから火砕流などが押し寄せ、津波、毒ガスで約2000人(当時の人口は1万人)が亡くなる。当時、地震や噴火の知識がなかった市民は互いに助け合ったが、毒ガスで全員死亡とのこと。そして5mほどの火山灰が昼夜降り注ぎ18世紀まで発掘されなかった・・・。
4時間、ポンペイ遺跡を隅から隅まで歩き回りヘトヘトになり、帰りの電車で爆睡したのでローマまで早かったのは言うまでもなし。
0 件のコメント:
コメントを投稿