福島県浪江町の震災遺構「請戸小学校」から300mほど離れた所にある請戸海岸。当日は「浪江浜まつり」が開催されていて、浪江名物「浪江やきそば」「モモサイダー」「分厚いヒラメバーガー」などのご当地露天が軒を連ねていて、私は人が大勢集まっていた浪江海岸へ行く。
砂浜では子供達による大声大会やビーチボールなどのイベントなどが行われていて、にぎやか。
波打ち際にも人がいて、13年前にこの海岸から津波が押し寄せたなんて想像できないほどのワイワイ感。
聞けば開催は(震災以後)初めてとのことで、地元の人は色々な感情を消化できなくても、海と共存しなければならないんだなと(浪江町では地震、津波で182名が犠牲になった。)
で、ふと思う。
どこかで地震や津波などの天災は一度体験すると“終わり感”があり、試練や困難は続くものの、奈落に突き落とされても、少しずつ這い上がると言うか、より良くしていこうと思うけど、震災は一回経験すれば終わりではなく、その後も二回目、三回目があるかもしれない不安さがある。
そこが天災と人災とは違う所。人災も結局、何度も起きるけど本来は防げる話。
「お客さん、東京から?この前、松山城が崩れてさ、人が亡くなったんだ。だから松山城には上がれないよ。あれは人災だね。」は、愛媛県研修所へ行く際に乗ったタクシーでの会話。
「はい、東京です。そうなんですか」と否定するの変なので、そのままにしたけど、色々と消化できずに生きてるよねと。
「はい、東京です。そうなんですか」と否定するの変なので、そのままにしたけど、色々と消化できずに生きてるよねと。
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