初詣。「お年玉」を渡す人数がまた減った。5年前だったら10人以上いたのに、一人また一人と大学生になり(我が親戚内では高校生までがお年玉の対象者というルール、金額も小学生以下と中学生以上で決まっている)数人で終わってしまった。今年は更にコロナウイルスの影響で帰省しない人もいて(例えば我が家の末っ子)、これまで何かと顔を合わせてきた親戚付きあいまで変化してしまった。
これから社会の中軸となる子どもたちに大人ができることを考える。結論から言えば【感じる・考える力を育む機会の創出】が大人の役割の一つだと。15年前で既に選択可能情報量は530倍に対し消費可能情報量は33倍だった(1996年を基準にした指数化で2006年まで:総務省「平成18年度情報流通センサス報告書」)と知ると今は更に情報量は増え続ける中で消費可能情報量はあまり変わらないと推察できる(人のスペックは大差ないと思うから)。
これだけ情報量が増えると、自分の意見じゃなくても情報を自分の意見とすることもできてしまう恐ろしさ。一種の「思考停止」で想像力が豊かで旺盛な時期にもったいない!と思う一人。だからと正論を保護者に突きつけるつもりはなくて、実は当人も(どうしたらいいか、分からない)が本音。シンプルです、「どうしてそう思ったの?」と子どもたちへ問いを立て、その意見を肯定すること。くれぐれも、意見の先を照らしすぎないように!
0 件のコメント:
コメントを投稿