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2025年10月26日日曜日

ホーチミン市博物館にて。


情報が少ない=事実を知らない=古いイメージで捉えていること(誤解していること)。
「ホーチミン市統計年間2022」によると、ホーチミン市のGRDP構成(Gross Regional Domestic Product:地域総生産)は以下の通り。

【1位】商業・サービス業:64%

【2位】工業・建設業:22.1%

【3位】税・補助金控除後の製品:13.3%

【4位】農業・林業・水産業:0.6%


第一産業(農業や漁業など)が盛んなイメージがあるけど、実は0.6%しかない事実。

街のあちこちで建設や工事が行われていて、9年前は工事中だった電車も地下鉄も既に運行中。という工業・建設業は22.1%。

やはり「
商業・サービス業」という第三次産業が盛んなのは販売/観光業が太いと思われ(Grabも太いだろうな)、人を介する対面業務も多いだろうなと推察。


ベトナム国民の中央値年齢は33.4歳(が一番多い)。
年間経済成長率(GDP成長率)は2024年は約7.1%、2025年が約6.6%と予測されている。

成長を支えているのが若い世代による生産能力と人口増加。
2025年には1,400万人達する勢いのあるホーチミン市。
直近5年間の急激な人口増加には、周辺地域との合併などもあるものの、教育や医療など社会インフラの充実もあったり。

ドイモイ政策(1986年に外国投資や民間企業の活動が解禁されて都市人口が増えた。)、経済特区の設立、都市開発などの政策促進。港湾都市の強化にメコンデルタとの連携強化、それらの結果は農村部から都市部への人口流入による産業活性化など。

ホーチミンの発展を知る&学ぶには最適な
ホーチミン市博物館。
ちなみにホーチミン市博物館は、フランス人建築家アルフレッド・フルーによって1885年に設計、1890年に完成。

インドシナ副総督アンリ・エロイ・ダネルや歴代総督の居住地となったとのこと。

130年以上の歴史的建物だから雰囲気もよく、敷地内、建物内のあちこちで撮影されていたの
商業・サービス業の一つ。



ワタシ、マタツクリタイ。

日本人が好きな紺色で作ったスーツとドレスのサンプル、すごい!

Usagiにお願いしていた「オーダーメイド服」を取りに行く。
オーダーメイド服の相談をしに行った日から48時間後に仮縫い縫製ができて、さらに48時間後(計96時間後)には、「商品化」されたオーダーメイド服ができあがっているのだから、本当に驚く。

裁縫が得意な人から見れば驚くこともないかもしれないけど、一枚の布を複数の形に切って、切り取った布は裁断に合わせて立体に縫っていく・・・と書くのは簡単。

だけど、シルクは伸縮性がないから採寸をシッカリしなければならず、また縫い合わせる時に失敗もあるだろうと。
まさに「ゼロイチ」の極み。

「こんにちはー!」とお店に入ると「マッテター!デキテルヨ!」とニコニコ顔のオーナー。
そして「ワタシ、マタツクリタイ!」と、いきなり言ってきて、何の事かな?と思ったら、妻がお願いした「ポーチ」のことで、「ミテミテ!」と、完成したポーチを取り出して、出来映えを見せてくれる。「スゴクイイ!カワイイ!」とオーナー。

妻いわく、このポーチは4パターンに持ち方が変形するようで、でも作りはシンプル。
既製品では2万円以上/個するとのことで、Usagiでは約2500円/個(生地代は別)なのだから、品質も十分だし、Usagiで作った方がいいに決まってる。

オーナーも、この形は初めて作ったとのことで「コレ、イイヨ!マタ、ツクリタイ!」と作って楽しかったとのこと。自分で作ったものを褒められるって本当にすごい事。

そして「ワタシ、キジヲタクサンカッタ!17シュルイカッタ!ニホンジンスキナイロ!」と、日本人好みの生地をベンタイン市場で仕入れて、早速、サンプルを作ったと見せてくれたのが写真のスーツとアオザイ風ドレス。

日本人は「濃(紺)」「レース」「サテン」などが好きなようで、オーダーメイドを受けると、その生地をストックするとのこと。
壁一面に生地が多いと思ったら、そういうことなのね!と合点。

でも、日々お客さんからのオーダーメイドを受けて数日後には完成させるとなると、超絶忙しいと思うけど、「ハタクヒトハ、7ニンイルヨ!」とオーナー含めて8人と店にいるのはオーナーと従業員2人だけど、他の従業員は子供が小さいなどで「在宅勤務」とのこと。

「ウサギ!ガンバッテルカラ、ショウカイシテ!」とオーナー。
ホーチミンに来たらオーダーメイドで洋服やバッグの注文をオススメ!

2025年10月25日土曜日

本物ってナニ?


ホーチミンに来た観光客が必ず訪れるはずの「ベンタイン市場」。
洋服、土産、時計、食品、バッグなどあらゆるモノが売っていてカオス。
売っているのものは、有名メーカーやブランド品ばかり(品が本物か偽物かは買う人次第)。

でも、一説(諸説あります)には、生産工場から流れている品もある・・・とのことで、真相は分からないの。

その証拠/信憑性に、保証書やブランドタグ、シリアルナンバーまで見せてくれる店がある。
そして安い。一般的な表示価格の50%OFF、66%OFFな値段を最終的には提示、ここまで下げるには交渉が必要で、詳しくは義母がお土産を買った時のエピソード。

でも、そもそもブランドTシャツなんて着れば消耗(≒ヨレヨレ)するのだから、高くても・・・と思うのは個人の意見です。
ちなみに、Tシャツは値切った最終価格はどのブランドTシャツでも1,000円/枚程度。ポロシャツは2,000円/枚程度。

デザインやロゴマークを着たい人は、1,000円や2,000円でブランドをPRしてくれていて、仮に偽物でも本物と遜色ないデザインやロゴマークなんだから、周りは気にしない&分からないから、マーケティング手法の一つとして成立しそうな・・・でも偽物と分かって買うのは犯罪に加担です。

そんな「ベンタイン市場」のコトを話していたら「サイゴンスクエアもあるんだよ!行った?」と教えられて「いや、ないよ。」となる。

ベンタイン市場から近くで、サイゴンスクエアではベンタイン市場と競争しないように?品揃えが一部異なっているようで、流行やベンタイン市場では扱っていないブランドがあるのが特徴とのこと。

そんな取り扱い商品には保証書やブランドタグ、シリアルナンバーがキッチリ入っていて、本物なのか?偽物なのか?全く分からない。

そして、値段も定価の半額以下なのだから、本物ってナニ?本物を持つ理由ってナニ?と考えてしまうのは当然の成り行き。

奇跡と思ってないようで。

安全運転でお願いします。

今回、初めて知った一つに「ホーチミンでは16歳以上なら、50cc以下のバイク運転に免許は不要」ということ。

えっー!と驚くと共に(だから50cc以下のバイクが多いのか!)に納得。
だからなのか「交通ルール/マナー」が無いに等しい。知らないからね。

歩行者を待たず割り込むし、赤信号は守ってもフライング発車だし、逆走なんて当たり前、歩道を走るし、建物からいきなり出てくるし、大きな交差点では(オレが先!)と言わんばかりに度胸試しのように突っ込んでくる。

軽い衝突、急ブレーキは日常茶飯事。3人-4人乗りも多く、そんな場合は子供連れ多し。
大人だってヘルメットしてるのだから子供にもヘルメットをしてあげて!
風を切って髪をなびかせて爽快に走ってる場合じゃないよ!事故ったら確実にアウト案件!

バイクタクシーもあり、車と同じGrabというサービスが大手。
乗客を後部座席に座らせた二人乗り(乗客はGrabのヘルメット着用)だけど、客は運転者に命を預けているにもかかわらず、スマホ操作をしてたり、楽なポーズをしていて、急ブレーキでガクンッ!となったり。
見たくもないのに、わずか30cm隣に“攻めてくる”ので、こっちがハラハラする。

でも、交通事故は見なかった。(ぶつかるー!)と、ヒヤヒヤした瞬間はあったけど。
超絶で絶妙なハンドル操作と言うか、クラクションを鳴らしたり、後部座席の客が「手信号」でサインを送ったりして、他のバイクも車も突っ込んでくるのに、スレスレで避けたり。

写真は朝の光景。特に朝と夕方は数えきれないほどのバイクで、この時は青信号だったので渡っていて停止線に「位置についてヨーイ!」の光景で数秒後にアクセル全開&クラクション全開でスタート。

みんな、事故がないのは奇跡と思わないのか?

ちなみに、多くのバイク運転手がフード、マスク、サングラスなどで顔を完全防備しているのは「排気ガス、紫外線防止」のため。

人も近いけど、バイクも近かった件。

2025年10月24日金曜日

泣けた。

家族や店などに協力いただき、泣けた食事

ホーチミンで暮らす弟分の家族(奥様、子供たち)、長期滞在中の弟分のお母さん、義母、娘たちも含めて皆んなで食事しよう!と誘われて、訪れたのは「フーンライ/Hương Lài(ベトナム語でジャスミンの香り)」というベトナム料理で、「ココのプリンは本当に美味しいよ!」は、ピックルボールを一緒にした弟分の子供たち推し。

Grabで30分ほどの距離へ”わざわざ”行くから、どんな店かな?と思ったら「ココの料理は本当に美味しい!」とのことで、ここまでベトナム料理、マレーシア料理、韓国料理などを食べてきたけど、フーンライの経営者は日本人夫婦で店(一度閉店を経て、その後復活して)20年以上とのこと。

「ココはね、料理も美味しいんだけど、店の経営理念に共感すると思うよ。」と弟分。
なんだろう?と思ったら「ストリートチルドレンなど恵まれていない環境にいるベトナムの子供たちへの就労機会」だった。

まさか美味しい料理(フーンライと言ったら“紫芋のスープ”らしく美味しかったし、他にも厚揚げの炒め物など全てが美味しかった)以外に、そんなエピソードがあるなんて・・・感激しながら食べる。

そして、デザートタイム!
弟分の子供たち推しの「プリン」がテーブルにやってきて「これだね!」と、食べようとした瞬間「ハッピバースディトーユー!」と歌声が聞こえて「おっ!店内に誕生日を迎える客がいるんだな!」と思って、振り返ったら“わたし”でした(笑)。

「えっー!」となり、店員さん、オーナーさんもいらしてくださりプリンの隣に並んだ特別ケーキとメッセージボード。
で、よーく見たら「ノボルさん&ミチコさん29回目の結婚記念おめでとう!」の文字も。

泣けた。どうやら、娘たち発案のようで弟分、お店などに協力してもらったそう。
こんなにベトナムのことを好きにさせてどうするのさ!という感じで、妻とローソクの火を消して皆んなでいただいたケーキの味は超染みたし、プリンの硬さ&甘さは絶妙で、感謝せずにいられなかった夜。

猛省の食事マナー。

手前がバインセヨ

ネット情報によれば「ベトナムの食文化の一つに外食があり、朝食からフォーやバインミーなどを手軽(200円-500円程度)に道端やレストランで食べる文化がある。この背景には、共働き、約1,000年もの間、支配されていた中国文化、フランスによる植民地文化などの影響がある。」とのこと。

朝散歩の6時頃には既に道端の屋台でバインミー、フォーなどが売られていて、そこに1人-3人ほどの人が集まって、中には学生がいたり、バイクで乗り付けて“バイクにまたがったまま”支払いを済ませていたり。

コーヒー文化も盛んで、ベトナムコーヒー好んで飲んでいるけど、地元の方は薄い茶色い飲み物もよく飲んでいて、「あれは何?」と尋ねると「ヌックミア(サトウキビジュース)」。
コーヒーよりも安く、また栄養もあるとのことで気軽に飲んでいる(飲める)とのこと。

宿はAirbなので朝食はなく、グラノーラ&フルーツで済ますこともあるけど基本外食。
しかもガイドブックも持っていないから、この日は近所を散策して近所のカフェに行こう!と決めて歩いていると、予定していたカフェより雰囲気のいいオープンテラスのカフェが道沿いにあり、「ココにしよう!」となる。

こういう“当てのない”フラリ散策は楽しい。
朝食っぽさを感じさせるベトナム料理の一つ「バインセヨ」にベトナムコーヒー、そして「エッグベネディクト」に野菜ジュースを注文。

美味しかったのは言うまでもないけど、私の食事マナーはよくなかった・・・と猛省。
フォークとナイフがあるのだから、両方を使うべきを(一応使ったけど)、もっと“らしく”使えば良かった。

そう言えば、フォーを食べる時も、麺をズルズルッ!と日本では「美味しさ」を表す音があるけど、音を出すのはマナー違反だし、スープも器を持って飲み干して、プハァー!もダメ。
レンゲ(スプーン)があるのだから、レンゲ(スプーン)でスープはすくわないといけない。

【教訓】郷に入れば郷に従え。

2025年10月23日木曜日

世界カラマリ紀行_ベトナム編。

ホーチミン市でのフライドカラマリ

海外へ出ると、つい探したくなる&食べたくなる「フライドカラマリ(イカのフライ)」。
7月に訪れたクイーンズランド/オーストラリアでも、韓国でも香港でもフィレンツェでもアマルフィでも探しては注文して、その土地の味を楽しむのが私流。

ホーチミンも海産物が有名。ただ新鮮さがウリだからか刺身や蒸し料理が多く、フライドカラマリには出会えてなかった数日間。

「あれ!フライドカラマリあるよ!」と長女。
料理写真はなかったものの、メニューにはフライドカラマリと文章で紹介されていて即決。

しばらくして、テーブルに出てきたのは、日本おホタルイカの2倍サイズのイカをカリッと揚げたフライドカラマリで、口に入れるとイカの味と衣の味のハーモニー、ついでにカルカリッ&サクサクッの歯応え、風味が広がり(コレコレッ!)と求めていた味にご満悦となる。

胴部分だけでゲソ部分がないのは「ベトナムではゲソ部分を食べる習慣がない・・・」と聞いた記憶、ちょっと曖昧。

「そんなに美味しいの?松山/日本にもあるでしょ?」と言われるけど、イカフライはある。
だけど、現地で食べると「おいしさ20%増し説」があるように、格別に美味しく感じる。

そして、イカのフライだけどイカの天ぷらではない。
フライドカラマリの衣は薄く、素材の味/旨みを最大限に引き出すために下味がついてる感じがする。違うんだよね・・・。

今回は、甘塩っぱいタレ、オクラの素焼き(なぜ、オクラの素焼きか?は不明)が和物についていたけど、食べ方の好みは人それぞれ。
私は何もつけずに、いただくのが好き。

「フライドカラマリを作る&食べる料理教室があったら絶対いくのにな・・・」と、先日参加した料理教室を思い出す。

ピックルボール!

姉妹はピックルボールの常連だった!

今夏、ココ大付属学園でも楽しんだピックルボール。

多数の穴があいたプラスチック製ボールを、木製パドル(ラケット)で打ち合うスポーツ。
子供でも楽しめる気軽さ、シンプルさが好評。


1965年にアメリカで誕生と言われ、プロリーグもあり、2021年にはMLP(メジャーリーグピックルボール)が創設され、競技人口は世界中で900万人以上とのこと。

「あれっ!ピックルボール場がある!」と宿近くに見つける。
すると「あれ!ココもピックルボール場だ!」と宿近くに大小さまざまなピックルボール場があり、妻が「ピックルボールしようよ!」と弟分にリクエスト。

すると弟分、「ピックルボールなら普段からウチの子ども達としてるよ!」の返答にビックリ!
常連という弟分の姉妹が早速予約を入れてくれて、ピックルボールスタート!

11点先取、3リターンまではスマッシュナシ、フロント部分では打ち返しナシなどのルールがあったものの、初心者には全く通じず、とにかく打ち返すのが精一杯。

最初こそ、楽しい〜!と喜んでプレーしていた妻。しかし30分もすると、汗がダラダラ、姉妹はハツラツ、「暑い〜!」と足がとまる。

私も参戦してプレーすると、ココ大付属学園の時とは違う楽しさを感じる。
と、言うのもココ大付属学園では会議室でプレーしていたので天井高が足りなかったのに対して、専用のピックルコートだから広さも高さも十分だったから。

日本にも「一般社団法人ピックルボール協会」があるのね。
と思ったら「一般財団法人ピックルボール日本連盟」もあるのね。何が違うのだろう?

そんなコトはさておき、日本のピックルボール人口は5,000人ほどとウェブサイト。
「5,000人だったら頂点目指せるかもね!」と豪語したけど、まずは翌日の筋肉痛から克服しないといけなかった件。

2025年10月22日水曜日

最後の言葉。

スペインから女性一人旅のアルゼンチン人の参加者と

本物のジャングルクルーズを体験した後、もしもスマホや財布などを川に落としたら完全にアウトだったな・・・とゾッとした振り返り。

メコン川くだりでツアーも終了!と思ったら、最後のチェックポイント(休憩場所)に通されて、ここではジャスミンティーと蜂蜜(ロイヤルゼリー)の紹介があり、写真はアルゼンチン出身、スペイン在住の旅行者で、子ども達は既に成人して、一人旅を始めたばかりという女性。

ロイヤルゼリーと言えば高級品、蜂箱から蜂を見せられて純度100%のハチミツに「お肌がスベスベになる!」と買った妻でしたが、肌に塗るタイプでなく「食用」だったらしい(笑)。
海外土産あるある。

「さぁ、出発しましょう!」とトムさん。
バスに乗り込もう!と意気揚々に立ち上がったら、バスの前に「島から出る必要」があることを忘れてた!渡船に乗り込んだ時は全員、疲労の様子が伺えて静かだったのがハイライト。

そんな中でもトムさんは一人元気で、「(こんなに遅いのに)明日も仕事なの?」と妻が尋ねると「違うツアーがある」とのこと。
自身の仕事(ガイド)に誇りをもっていて、溢れんばかりのホスピタリティは大学で学んだとのこと。
バスの中での陽気なトムさんと、直接対話のトムさんの真摯さとのギャップがあり、プロフェッショナル〜!となる。

バスに乗り込んだ頃は既に20時で(これから2時間、ホーチミン市に戻るのは22時か・・・)と、プログラム自体は終わったものの、まだ2時間も要するとは・・・。

そんな思いをドライバーさんは知ってか、バスは猛スピードでホーチミン市へGO!
2時間後、バスがホーチミン市内に戻ってきた!

参加者それぞれのホテルへバスは泊まり、「Thank you!」など、一人、また一組、下りてゆく。この頃には皆んなと挨拶ぐらいはできるようになっていて、「バイバイー!」と声をかけて、残ったのは私たちだけ。
私たちは送迎エリアに宿がなかったので、トムさんと一緒に下りて、サヨナラ!

「トム・クルーズのトムだよ!高評価よろしくね!」が最後の言葉。

本物のジャングルクルーズ。

辺りは真っ暗の中、メコン川をくだる

フルーツ5種(ドラゴンフルーツ、ベトナム版グレープフルーツ、ライチ、マンゴー、パイナップル)盛りでもてなされた「島の民謡ショー」は、歌い手さんが変わりながら計5曲披露しくれる。

トムさんいわく、歌い手さんは家族と親戚で、収入源が栽培以外にないので、こうしたお披露目は貴重な収入源なので、よかったらチップ(心付け)を置いて欲しいと。
テーブルを見たら籐カゴが置いてあり、チップ入れだった。

面白い!と思ったのは「国民性」なのか?チップを置く国と置かない国があり、私たちの日本にチップ文化はないけど、NY時代はチップのありがたさを知っていたので、少しばかりの心付けを籐カゴへ。

しかし、ドイツ、インドのテーブルの籐カゴにはチップが入っておらず、アメリカのテーブルにはチップは置いてあったし、アルゼンチン人も置いていた。

勝手な推察だけど、「ツアー料金以外は払う必要がない。」「ショーも含んで支払った。」かな?
強制ではないし良い悪いはないけど、心地よかったし美味しかったしのお礼。

民謡ショーが終わる頃は既に18時30分過ぎで辺りは日は沈み、街灯は数えるほどしかなく、かろうじて足元が見える暗道。

(確か、このメコンデルタツアーにはメコン川の川下りがあったはずだけど、まさか、この真っ暗の中で川下りするのかな?)と軽い不安がよぎると「はーい!これから約2kmの川下りをします。時間は約15分です!」とトムさん。

「おぉ〜!やっぱり、この真っ暗の中でも川下りするのね!本当のジャングルクルーズだよ!」と、日本語でトムさんに語りかけてしまった(笑)

辺りが真っ暗の中、船乗り場には先頭と船尾に女性が櫓を持って待機してくれていた!
私たちが乗り込んだ小舟の先頭の女性(おばさま)の後ろに座った私は、おばさまから「櫓を持て!(たぶん、そんな意味)」と、渡されて助手になる。

本当に真っ暗の中、両脇はモリモリの木々の中を静かに進む船。
時々、おばさんは私に向かって自身の肩を叩くジェスチャーをして「もう、肩が疲れてパンパンだよ!」と言ってるように解釈(笑)。

辺りが真っ暗なので写真も撮れず、そのまま15分ほど漕いで下流に到着。
腰が痛くて重くて、立ちあがろうとしたら、おばさんに腰を掴まれて何かと思ったらチップを要求される。

真っ暗の中、落としたら川ポチャで完全アウトの中、財布を開いて紙幣を取って渡したら、少額過ぎて「もっとよこせ!」と親指と人差し指を擦り合わせて要求されてしまった(笑)
その様子を見ていたトムさん「Money Honey!」と笑ってた。

2025年10月21日火曜日

島の冒険が始まる。

フルーツ5種盛りが提供される。

小舟に乗り込み、コーヒー牛乳色のメコン川を横断。対岸の島へ渡る。
到着したのは「ココナッツ加工工場」で、ココナッツは、中身のココナッツウォーターは飲めるし、白い果肉を絞ればココナッツミルク、果肉の外皮は硬いから器などに、そして外皮を包むようなモシャモチャは外壁材として使え、一つも無駄がないとトムさん。

現地の人は工場で作業しながら私たちの対応をしてくれ、試食がモリモリ。
その代わり、気に入った商品があれば買って欲しいというツアーモデル。どこでもあるけど「現地の人にとって貴重な収入になるので協力してほしい。」とトムさん。

個人的には「生ココナッツミルクキャラメル(できたてのトロトロキャラメル)」が美味して欲しかったけど冷めてしまうとフツーのキャラメル味になっていて購入断念。
第二候補としてココナッツクラッカーというのが美味しくて購入。

ちなみにココナッツ製品のほかに「スネークワイン」という、名前そのままのコブラなどが漬け込まれた蛇酒。「ほれほれっー!」と酒の中から蛇を取り出して見せびらかすトムさん。
引いてしまう我々。

工場内を物色していると「はーい!移動しますよ!」とトムさんに案内されて、電動カートに乗る。
向かった先は農園のような場所の入り口で、ココからは徒歩移動。なんだか冒険の雰囲気。

すると途中に女性と子供がいて(何だろう?)と思ったら「ドライフルーツ」を売っていて、ベトナム版グレープフルーツの皮、生姜、マンゴーなどを試食してくれるも、目がいってしまったのは女性は明らかにパジャマ(部屋着)と思える格好で、子供も生活の延長から出てきましたという感じで、アットホームなおもてなし。
そうだよね、たかが10分程度のもてなしだもんね。

冒険の旅は続き、チェックポイント(先ほどの女性)を過ぎて到着したのは40-50人が収容できる屋根のみのオープンな休憩所。

座るとベトナム版グレープフルーツ、マンゴー、パイナップル、ライチ、ドラゴンフルーツが盛られた皿が配られる。

「ココでは島の方々に民謡を歌っていただきます。フルーツを食べながらお聴きください。」とトムさん。

ココナッツ工場→ドライフルーツ→ショー(民謡)と、想像以上に濃いツアーと気づく。
民謡ショーの一番手は男性

クチからメコンデルタへ。

天然のココナッツウォーターで喉を潤す

「クチトンネルとメコンデルタツアー」の参加費は7,000円/人。
10時間で7,000円だから1時間700円ほど。内容にお得感を感じて申込んだのだけど、クチでは「キャッサバ&ジャスミンティー」をいただき、昼食では予想以上に美味しかったランチ(春巻き、つくね、エビフライ、温野菜、厚揚げ、スープ、豚の角煮、白米など)に感激する。

ランチを食べてお腹いっぱいになり(あぁ、大きなイベントが終わった・・・)と思うも、クチトンネル見学は序章に過ぎなかった!

時刻は13時過ぎ。
「これから2時間かけてメコンデルタへ向かいます!現地では2時間30分ほど滞在して、また2時間かけてホーチミンへ帰りますよ!」に、周りの参加者と顔を見合わせて苦笑するしかなかった件。
苦笑の意味は、10時間のツアーだけど、6時間分は移動だったのね・・・という感じ。

「これは寝るしかないですな・・・」と決め込んでバスに乗り込み、体制整えて寝る!
時々、ガクンッ!とバウンドしたり、クラクションに目覚めるも寝まくって2時間ほど経った頃でもメコンデルタには到着していない。

(道路事情で少し遅れるんだろう・・・。)と思いつつも更に1時間経っても到着しない、時刻は既に16時30分すぎ・・・。

「はい、そろそろメコンデルタに着きます!途中の交通事故の影響で到着がだいぶ遅れましたが楽しみましょう!」とトムさん。2時間移動の予定は3時間30分だった。
私たちにできることは何一つないので楽しむしかない(笑)。

でも、メコンデルタで何するの?と、よく分からないままトムさんの説明を聞くと、現在地から船に乗り込み、対岸の島へ渡り、現地の方々と交流しますよ!とのこと。

そうなのね!と、トムさんが進む方向を見ると大きくラグジュアリーな大型船があったので(えぇ!これに乗るの!?)とテンションが上がったら「こっちだよ!」と、向きを変えたトムさんの行く手に小舟が用意されていて、“定番のお約束”に笑ってしまった件。
トムさん、エンターテイナー!

クチでのランチ、予想以上に美味しかった!

2025年10月20日月曜日

クチに到着。

ベトナム兵が隠れた穴に入ろうとして苦戦

10時過ぎにクチ到着。
ガイドのトムさんの説明で広大な敷地には、何本もの地下通路が掘られていて、地下で生活していた当時。
通路は4層まで深く掘られていて各層には寝室やリビング的な用途の部屋もあったとのこと。

爆弾などへの防御策の地下壕だけど、一層目でも生存確率は50%。二層目以降で生存確率は高くなるものの(地下で暮らす際の通気口&排気口はどうなってるの?)という疑問。

トムさん「この“穴”を見てください。通気口は岩や木の根元近くに巧妙に掘られていました。そして、料理などをする際の排気は、離れた場所から出るようにして、居場所を隠していました。」とのことで、50年前、生死の間での壮絶な生活を垣間見る。

そんな説明を聞いて「ココはベトナム兵が隠れた穴です。」と教えてくれた場所は地中に掘られた穴で草で覆われたフタをすることで身を隠せる仕組みなのだけど、ベトナム人の体型は小柄なので、ツアー参加者の女性はラクラク入れるけど、体を鍛えた屈強な男性は肩幅が入らず断念・・・。

いよいよ「クチトンネル」というゲリラ線を展開した時にベトナム兵が移動した地下通路へ潜入!
地下3mほどの階段を“かがみながら”下りて、幅1m×高さ1mほどの“かまぼこ型”トンネルを30mほど進みましょう!となるも屈強なガタイの男性は既に断念、暗くて狭いので閉所恐怖症の人も断念と数人が諦める中で、いざ!潜入!

通路内は真っ暗で湿気多めで狭い!しゃがんだ姿勢のすり足で進むから、たかが30mでも遠く感じて、恐怖心に襲われる。そして、地下通路には「行き止まり」もあって、リアルパックマン状態。

(出口どこ〜!)と叫びたくなった時に遠くに明かりを見つけて、安堵するも既にゼーハーゼーハーと息はあがっていて地上に出て、先に出た皆んなと合流。
こんな生活を日常的に強制されていたのか・・・と、平穏な日常に感謝。

「皆さん、お疲れさまでした。」とトムさん。「次は発砲体験ですが、参加したい人はコチラ、休憩したい人はコチラに並んで!」に、迷わず休憩組で一休みをしようとなる。

休憩中に飲んだ「冷えたココナッツウォーター」が美味しかったこと!

一期一会の10時間ツアースタート!

日本とは雰囲気が全く異なるサービスエリア

集合時間の7:15に合わせて6:30にタクシーの配車をGrab(ベトナムでは定番の配車アプリ)で行う。

この日は「クチトンネル&メコン川ツアー」へ申し込んでいて、ツアー時間は10時間の“終日激アツツアー”。

集合場所に7:00に到着。チェックインを済ませて待っていると、相乗りバスがやってきた!
「今日は楽しみましょう!」と、自己紹介をしてくれたのは「ベトナム出身のトム・クルーズのトムです!覚えてね!」とノリの良いトムさん。

「このツアーは合計20名です!」とトムさん。
私たち日本人の他に、アメリカ人、アルゼンチン人、ドイツ人、インド人のグループ&家族&個人。一期一会のツアーが始まる。

「これから2時間、 高速道路を走ってクチへ向かいます!クチはベトナム戦争遺構です。」とベトナム戦争について紹介してくれるトムさん。

枯葉剤は無味無臭で、当時はベトナム人もアメリカ人も本当のことを知らされておらず、その後の惨劇も想像できないまま数年間ばら撒かれた・・・などを聞いて色々とめぐらせていると、既に出発して1時間が経過していて「サービスエリアでトイレ休憩を入れます。駐車時間は20分です。」とトムさん。

「サービスエリアで休憩か、ちょうど良かった!」と思ったら、ベトナムのサービスエリアと日本のサービスエリアは全然違った(笑)。

草木がモリモリと生い茂った一角で、そこへ相乗りバスから大型バス、自家用車などが出入りしていて車はギューギュー詰め(笑)。

トイレのほか、ベトナム戦争の後遺症で苦しむ人を支援する螺鈿の工芸品などが売られていたり、カフェがあったり。蒸し暑さに果物とベトナムコーヒーで休憩していたら「出発するよー!」とトムさん。あと、1時間!

サービスエリアで食べたマンゴー&グレープフルーツ

2025年10月19日日曜日

7回驚く。


「ベトナム(ホーチミン)へ行ったら洋服を作ったらいいよ。」とは聞いていて、でも私は特に必要なく、妻と娘が必要としてた。


連れてこられたのは「Usagi」という小さなテーラー(仕立て屋)。

「いらっしゃい~!」と、日本語で挨拶してくれたのは小柄の女性でオーナー。

他に従業員は2名で、黙々とミシンを作業中。


(日本語が通じるんだ!)が1回目の驚き。

Usagiでは「アオザイ」も作れるけど、スーツもオーダーメイドで作れるし、スマホ画面で「こんな洋服が欲しい。」と伝えると、画面をみて「生地の厚さはどれくらいがいい?」「裾の長さはどれくらい?」「後ポケットいる?」「ポケットの位置は高い?低い?」「裏生地はつける?」など、サッサッサッ!と的確で切れ味のよい質問に2回目の驚き。


画面(それもスマホ)の二次元写真から三次元に変換できる能力+デザインの特徴を掴む能力が凄まじい!そして、アイデアもくれる。

そして「生地は○m×○mが必要!」と電卓ナシで生地量を弾き出すのを見て3回目の驚き。


そのままベンタイン市場で生地を買い求めるも、市場内には生地屋は何軒もあるから一苦労。

着用したい生地を購入して、再びUsagiを訪れると「仮縫いは二日後に完成するから、戻ってきて!」とのこと。(えっ!48時間後には大まかにできちゃうの!)に4回目の驚き。


48時間後

娘も注文していた洋服の仮縫い確認日。Usagiを訪れると「待ってたよ~!」「もう、私たいへんだった!頑張ったよ!」と人懐っこい笑顔で見せてくれたオーナーのスマホの画面には、パターンを何度もデザイン&デッサンした絵に5回目の驚き。


一枚の生地から立体に、それもデザインを合わせ、キチンとフィットさせる技術に6回目の驚き。マジでスゴい。

娘の試着に「カワイイ~!」と、自身でも縫って作った洋服の出来に喜ぶオーナー。


ただ、仮縫いなので、要所に調整が必要とのことで「ココは2cm詰めるね。」「ココはこのままがいいよ。」「長さはいいね!」など、柔和な笑顔からのプロフェッショナル度のギャップがスゴくて7回目の驚き。


ただ、ただ、その技術力とものづくり力に驚いた件。

値切って値切って。


義母は80歳超。我々世代だと、ベンタイン市場で声をかけられるのが時に面倒で、特に商品を触った瞬間に「オニイサン(オネエサン)、ソレホシイ?」「ナニホシイ?」など、執拗なセールスは避けたい・・・。要するに“接触は最低限”を意識してしまう。


だけど、80歳超は違う。興味がある品を片っ端から触っては確かめていく。

すると、当然のごとく「ソレ、ヤスイ!」「ナニイイヨ!」などの声がかかるも完全スルー(笑)。
自身が興味ある目の前の品だけに全集中して吟味、吟味が終われば隣の品を品定めしてまた次の店へ。


怖いもの知らずといった感じで店員の執拗な声がけも空振り、諦める。その姿勢、見習います!

そんなコトを繰り返していると「お土産が欲しい。」と義母。

色々と物色した結果、ポーチに的を絞ったよう。

そこへ案の定、店員のお姉さんが「ママ!コレイイヨ!」とセールス開始。スルーする義母(笑)。そして、イスを用意してくれる店員。お礼を伝えて座って物色し続ける義母。


ポーチは何個買うのか?と思ったら「30個」の返答に「30個!」と驚き、その言葉を理解したのか、店員さんから電卓で1個900円×30個=27,000円を提示される。


「えっ!?一つ900円高いわ~」と義母。
確かに目の前の品が900円/個は高いと私も思い、値段交渉をしてしまった。


すると店員さん、電卓に700円/個と表示して× 30個=21,000円にしてくれる。

「一つ700円?、やっぱり高いわ~。」と義母。

そんな様子を察した店員さん、今度は600円/個を提示してくれる。
値段交渉中も30種類のポーチを物色する義母。


ことの成り行きで私が交渉役になり、店員さんとやりとり。

「オニイサン、コレハ?」と600円/個に返答するのを忘れてたら、店員さんから「イクラガイイノ?」と逆提案される。要は我々から買取金額を提示しろと。


でも、値段が分からず、う~ん・・・としていると「500円(×30個=15,000円)」と電卓をたたく店員さん。

(500円/個は妥当かな・・・)と思いつつも、「もう少し、安くなる?」と目をみて伝えると450円/個となり、400円/個(×30個=12,000円)となった!


これが底値と納得して、義母に「一つ400円です。」と最初の提示から半額以下になり、大喜びの義母。
そして、いつの間にか店側は3人体制で対応していた(笑)。
義母に抱きつき「ワタシノママ~!」と、喜ぶ。


義母も店員さんの双方が喜ぶ結果になって、良かったと思う。

2025年10月18日土曜日

ホーチミンの夜に。


ホーチミンには弟分が30年以上暮らしていて、彼との仲も30年ほど。
そんな彼が「合わせたい日本人がいる。」と言うので、その日本人が経営しているバーへ。

店内は程よい大きさで、店外にはカウンターがあり、店奥には寿司カウンターもある。
そんな雰囲気にDJブースもあり、「心地よさ」をテーマにシティポップなどの曲が流れて、レコードジャケットは飾られていて(日本にはない雰囲気だな)と3時間過ごさせてもらう。

弟分がオーナーに合わせたかった理由は2つあって「オーナーもNYで暮らしていた。」「クリエイティビティな話が合うはず。」と考えていてくれて大感謝。

お互いに初対面だし、どんなバックグランドが合うかも分からなかったけど、弟分の思惑通り、ニューヨーク、映画、音楽などのサブカル話題で盛り上がり、オーナーは私たちよりも年上だったにもかかわらず、色々と意見交換。

そんな意見交換の中で印象的だったのが「今の時代、日本を見ていると損得勘定、ギブ&テイクな価値観の横行が悲しい。」的な内容に「ボランティアな体験を充実させて、モノゴトの本質を損得勘定、ギブ&テイク無しに経験させるのはどうか?」は、自身では複数の店を立ち上げている経営者からの言葉としては、少し驚いたり・・・。

ボランティア論を教えている身としても、「〇〇だったら(ボランティア)する。」的な「対価が前提の発想/思考」では豊かにはならない。と、伝えているので同じような考えを持つ人が目の前にいて同志のように感じたり(笑)。

そして、一つ気づいたのは、良い意味で「尖った人に会うには海外が手っ取り早い。」ということ。
日本でも会えるかもしれないけど、何百万人といる中で会える確率は低い中で、尖った人の多くは日本を飛び出していて、その数は数百人、ホーチミンなら数十人と数は少ないけど会える確率は日本よりも高い。

「今度、日本で会いましょうよ!」と、次回の再会を約束した帰り。
弟分に感謝。

ベトナムアート。

マイ・チュン・トゥ(Mai Trung Thu)のモナ・リザ(1974年)

美術館めぐりが趣味なので、ベトナムでも・・・と思ってもベトナムアートのイメージがない。
現代アートではアジア、ヨーロッパ、アメリカなどに関係なくボーダーレスな作品が多い中で「ベトナムらしさ」を見てみたい!と「ベトナム、美術館」と検索してもイマイチで、どうしてもベトナム戦争系の博物館、歴史館が多い。

何気なく、宿の周りで朝の散歩コースをグーグルマップで探していたら、「Quang San Art Museum(QSAM)」というピンを見つけてオォ!となる。

そして、場所はどこ?と地図を拡大したら、宿の近くじゃないか!それも徒歩で13分、1kmの距離!これは行かなきゃ!と、身支度整えて出発!

QSAMは道路から横道に入った奥まった場所に立っていて(多くの人に知られているのかな?)と思ったら、「民間(私人)のコレクター」を集めたベトナム初のプライベート
ミュージアムで2023年にホーチミン市文化スポーツ局に認可された公開だった!

美術館名は、
創設者Quang 氏の名前(Quang)と彼の母親の名前(San)を組み合わせたもので、ココはプライベートミュージアムの特権。

展示作品はと言うと、3階建ての各階ごとに分かれていて、響いたのは「ベトナム戦争以前」の作品。ベトナムは長らく中国の支配下にあった影響で、その様式が色濃く反映されているのだけど、モチーフや描き方は大らかで市井の様子、静物画や人物は穏やか。

その中で特に痺れたのが
マイ・チュン・トゥ(Mai Trung Thu)のモナ・リザ(1974年)。
レオナルド・ダ・ヴィンチのオリジナル作品を解釈した3作目であり、最大の作品と説明。

“この作品の真髄は模倣ではなく、文化の翻訳力にあります。ルネサンスの精神を称えつつ、ベトナムのアイデンティティを肯定する、東洋と西洋の絵画の対話”と説明は続き、見惚れてしまった。

他にもピカソの「ゲルニカ」を解釈した作品もあったりと、こういう機会に恵まれてるって、ツイてるしか言いようがなく、ベトナムアート初級編終了!

2025年10月17日金曜日

ホーチミン最大の日本語学校へ。


2025年8月時点で愛媛県内には4,500人以上のベトナム人が暮らしている。
「ドンズー日本語学校」はホーチミンで最も大きい日本語学校とのことで、以前にも意見交換させていただいたという妻の訪問に同行させてもらう。

対応してくださったトアンさんは日本への留学経験があり。ドンズー日本語学校の生徒を日本へ留学させたく、その一つとして愛媛県とのパイプを太くしたいとのこと。

ただ、コロナ前までは5,000人以上いた日本語学習者は現在、1,000人を切ってしまい、日本への留学熱が冷え込んでいるのが現状と聞き、その原因は・・・。

(1)日本が留学先として魅力的ではなくなっている。
(2)ベトナム国内の経済成長(年間7%)が著しく留学しなくても国内でも十分に学べる環境になった。
(3)日本以外の留学先(ヨーロッパなど)の意向が高まっている。」など

留学後は得た知識や技術、経験をベトナムで活かすために帰国する学生もいるし、日本で就職する留学生もいるわけだから、単に労働人口の担い手と勘違いすると、向こうから選ばれないのが現実。

とは言え、教室などを案内してもらうと、各教室は日本語を学ぶベトナム人であふれていて、例文を音読をしていたり、漢字の学習をしていたり、日本に興味をもってくれてありがとう!と勝手にお礼を伝える。

この先、日本語を学びたいベトナム人を増やすには、新しい作戦が必要とトアンさん。
その作戦を教えてもらったけれど、一つではなく複数ものアイデアを画策していて、「それはいいですね!」となる。

愛媛県内で最も多い外国人はベトナム人なのだから、双方の交流も含めてできることは多いよねと勝手意見。
この国/地域の熱量はスゴいから、学ぶ所、参考になる所は多い!

一期一会のベトナム料理教室。

生春巻き

先に料理教室に来ていたフィリピン人の女性2人組は現在、大阪に構える国際弁護士事務所で働いていて、休暇にホーチミンを訪れていて、今日が滞在最終日。
料理教室が終わったら、夜の便で大阪に帰るとのことで、いきなりホーチミンで日本が話題になる。

「今日は6人で料理を作るわよ!」とアンさん。
フィリピン人の女性2人組とワイワイ喋っていると、そこへ「ハロー!」と入ってきたのは男女のカップル。
聞けばイギリスから来た20歳のカップルで、2人で働きお金を貯めて3-4ヶ月間ほど旅をしていてる最中で「日本へはこれから行くところなの!」と聞いてビックリ!
偶然にも異国の地で日本が話題になる。

「今日は生春巻き、バインセヨ、フォーを作ります!」とアンさん。
一人一人に材料や調理器具が用意されてベトナム料理教室スタート!

この料理教室は参加の満足度が高く、作った料理はお昼ご飯に充てられるから申し込んだのだけど、何が良かったか?と言うと、「誰もが上手に作れる下準備」と「最後の重要なトドメは参加者自身が行う満足感」に尽きる!が感想。

刻む野菜、炒める香辛料、混ぜる調味料などがキッチリ一人分ずつ用意されていて、アンさんの言う通りに進めれば自動的に完成する仕組み。そして、作業が一つずつ終わればスタッフが全て片付けしてくれるので迷うことなく調理できて、生春巻き、バインセヨができあがる。

予め作っていたソースにつけたり、かけたりして、自分が作った生春巻き、バインセヨだから美味しいに決まっていて、最後のフォーも予め指示を受けて茹でていた鶏肉をほぐし、スープを入れて完成。

完成した生春巻き、バインセヨ、フォーの量は私でも多く感じられて全部は食べきれず。
でも、そんなコトまでお見通しで「パック」が用意されて持ち帰れたのだから完璧なコト運びに感服する。

これで一人5,500円/人だったのだから、お得感しかなかった件。
その証拠に午前の部だった私たち(6人)、午後の部は13人が参加、前日は17人の参加だったとアンさん。

フィリピン人の女性2人組、イギリスの男女カップルとも「美味しかったねー!楽しかったね!」で、お別れ。
一期一会のベトナム料理教室は想像以上の満足度で終了。
バインセヨ