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2024年4月23日火曜日

天国の人たち。


「誰ですか?」的なコトを言われたので残しておく。
2001年の正月に当時のニュースステーション(久米宏版)で、フィルム・コミッションの紹介をしていた際に事務局的な役割をしていたOさん。

連絡すると「会いましょう」となり、新橋の東京第一ホテルで意見交換したのを今でも覚えている。
Oさんは既に70歳過ぎ。当時は国土交通省がFCの研究会を開いていて、私を面白がってくれたOさん。この人から全てが始まる。その後、連絡が途切れて届いたのは訃報。

Hさんは某県の公務員フィルムコミッション担当者。年齢が近かったことから意気投合、色々と相談した中だったけど、ある日、起きてこなかった・・・と聞いた。
FCの可能性を色々描いていて、今のFCを見たらどう思うかな。

Kさんもフィルムコミッション担当者。強面ながら実は“優しいしゃがれ声”が特徴の兄貴分で、私が撮影支援したレクサスのCMをとても気に入ってくれて、いつも笑顔で接していてくれたKさん。しかし「ちょっと体調を崩してね、入院するんだ。」を最後に帰らぬ人に。

Mさんは協議会時代の事務局長。その後、大学の教授になられた。私を文化庁に推薦したり、色々と面白がってくれた人。病に侵されながらも生前パーティーをしたり、遠距離を送迎してくれたり、愛媛に来た時は連絡をしてくれたり、FCの黎明期を支えた人。

特別に崔洋一監督。日本映画監督協会理事長としてジャパンFCの理事に参画してくださり理事長就任を報告すると「君か!いいかナショナルFCとしての矜持を持て!」と、叱咤激励をしてくれた。
毎回、理事会をひっくり返す勢い(実際にひっくり返しもした)だったけど、今となっては思い出。

2024年4月22日月曜日

実家あるある。


誕生日を迎えた父を訪ねようと連絡すると「秘密兵器があるんだよ!」と電話口で教えてくれる。どうやらテレビのショップチャンネルで購入した「電子レンジ用調理器」のようで「アサリの酒蒸しを作るよ!」、その他に「サラダ」なども用意してくれるとのこと。84歳、元気です。

妻と長女で訪れる実家は“THE 昭和な佇まい(純和風でもなくデザイナーズハウスでもない和洋折衷の建物)”、食器棚を見ると(メルカリなどで絶対に売れる!)と思わせるハート柄が印字されたグラスやメロンソーダが似合うエンボス状の長細いグラスなどは何十年も動かした形跡なし(笑)。

家族団欒でのランチ。普段は一人だから話し相手がいない父親の話し相手になってくれる妻や長女に感謝。そこへ、“噂”の
電子レンジ用調理器を使ったアサリの酒蒸しが登場。他にも畑いじりが趣味の父による筍の煮物や春菊のおひたしなども並び、(この時を相当楽しみにしていたんだな・・・)と思わせる振る舞い。

「実家にはモノが多い。」は定説だけど、50年以上も経てば、そりゃ色々(特に海外の貝類、木彫の置物、民藝品、食器、洋酒瓶など)と溜まるよなという感じ。(どこから来たの?)と思う不思議なモノも多い。
私のスターウォーズ収集癖も親からのDNAと納得する。

スイーツを食べてお祝いし、妻と長女を残して、私は一足早く出て羽田空港へ出発。
色々と考えさせられる、そんなお年頃。

マニラ食堂を横目に。


5時起床、高尾山へ登った時と同じルーティンを済まして8:30に出発。今回は小田急多摩センターから新松田駅で下車して、御殿場線松田駅まで50mほど歩くのだけど、情報量が多いといつも思いパチリ。特に「マニラ食堂」の、中華であり和食ってどういうこと?
松田駅から駿河小山駅までは15分ほど、そして駅を降りたら路線バスに乗り25分ほど揺られて富士霊園到着。ドア to ドアで片道約3時間の距離。

週末だったこと、行楽日和だったこともあり駿河小山駅までは登山客などで満員。
でも駿河小山駅で降りた人は10名ほどで路線バスに乗った人は全員が富士霊園へ。バスは金太郎が暮らした足柄山の麓を走り、富士スピードウェイの隣が富士霊園。

本建物でお墓に供える花束を選ぶ。色々な種類の花束の中から黄色とピンクの色だけで選ぶ。そして霊園内の巡回バスへ向かう、乗り込んだのは私を含めて3人。
ものすごく広い敷地内を走り、“あじさい”で下車。私だけ。

花束と桶に水、ひしゃくを持って母方の祖母が眠るお墓へ、一年ぶりの再会。花を供えて積もる話を報告して、「また来ます。」と伝えるまで所要時間は30分ほど。

帰りは富士山を眺めながら歩いて本建物へ。行きと同じく、また路線バスに乗り駿河小山駅から御殿場線で松田駅下車、また「マニラ食堂」見ながら小田急線新松田駅から新百合ヶ丘を経由して小田急多摩センターへ。

往復6時間に(遠い・・・)と思うも、訪れたいと思わせるのは何だろう?と。

2024年4月21日日曜日

根拠のない自信も。


今は助成金申請の真っ盛り。助成金をどう活用するか?は団体や事業によるけど、せっかく活用するのだったら「その後」にも繋がるようにするのが正解。
狩猟のように一発必中で「その時だけ」で終えてしまわないように・・・は、過去の教訓。
趣味は「助成金の申請」と公言してるけど、それは“使えるものは何でも使う”という、NPOが使える社会資源の一つでもあるから。

「書き方が分からない。」は、助成金を活用して取り組みたいコトがあるのに、書き方の切り口(≒視点)が整理できてないから。
「こうしたい!」「ああしたい!」など、自分がしたいコトは書けるのに・・・は、その取り組を第三者の視点から、引いて(客観的に)見直せるかどうかが鍵。

更に踏み込めば、その第三者の視点には複数あって、特に「受益者視点」で見直せると“まだ見ぬ相手になりきって”事業を確認できる。だから「妄想って役に立つんだよ」と真面目に言う。
受益者は他にも協力者や関係者などもいるから、それぞれの視点で整理できると、コトは強化できる。

そして、“根拠のない自信”も必要で、書いてる間は(これ、スゴくいい!)と自画自賛で堂々と書くのもポイント。自信は文章(表現)に現れるから、意識って重要。

と、アドバイスしながら私も書き始める、そして(このアイデア、課題と交わってる!)と自画自賛。

2024年4月20日土曜日

エキストリームな働き方。


5時起床、コーヒーを淹れて(八王子ではできる)作業、6時にシャワーを浴びて、7時過ぎに出発、快晴の天気!最寄り駅には通学の学生たちが大勢いて一緒に乗車。8時過ぎに高尾山口駅に到着。
高尾山へ登ろうとしている人は少なく、リフトやロープウェイ乗り場を横目に1号路をあがる。

1号路は3.8km、所要時間は80分。距離が他より長いのは坂がジグザクだから、延々と続く上り坂にヒーヒーハーハーしながら、リフト乗り場手前の急坂ではゼーハーゼーハーと呼吸が荒くなり(キツイ・・・)と思う時にちょうど平坦になり(相変わらず、なんと絶妙な・・・)で残り2km。あとは参道なのでブラブラ歩く。

9時過ぎに山頂(599m)に到着。2024年初めての高尾山山頂、70分ほどの登頂体験。
世界一の登山客数だけど、平日の朝は数える程度の人しかおらず、また天気も良く澄んでいたので富士山もバッチリ見えてサイコー!な気分となる。登った人だけが得られるご褒美。

帰りも1号路。行きにはすれ違わなかったのに帰りは人が多く「こんにちはー!」と挨拶を何回交わしたことか。帰りは60分ほどで高尾山口に到着、10時過ぎだったけど、大勢が電車を降りてた。やはり世界一の登山客数。

電車を乗り継ぎ、家に戻ったのは11:30。ドア to ドアで約4時間のアクティビティ。
費用は電車代(1060円)だけ。30分ほど仮眠して午後から作業再開、フツーに仕事。
一日を二日のように過ごす。働き方は人それぞれ。行動するかしないかだけの話。

2024年4月19日金曜日

変な自信。


朝、眠気まなこでスマホを見ると「愛媛、高知で震度6」というヘッドラインに(えぇ!全然感じなかったけど!爆睡してたから?でも、揺れに気づくはずだけどな・・・)と思ったら、ハッ!となり(あぁ、ここは松山じゃなかった、八王子でした・・・)と自分が居る場所を勘違いしてました。寝ぼけてました。

でも、スマホ、SNS、メールには「地震、大丈夫!?」という安否確認が北海道、東北、関東、近畿、中国、九州、沖縄、そして海外から20件以上あり、親からも。
しかし当人は地震に遭ってなく「大丈夫です、私は上京してまして・・・」と少しバツが悪かったり(恥)。愛媛(四国)での震度6は、現在の震度階級になって初とのこと。

ココ大付属学園で松山市の防災・危機管理課による非常時のトイレ事情を学んだり、非常食や乾パンを食べたり、非常袋を点検したりしたことを思い出してくれたらいいな。(本当は役立ってほしくないけど、2月以降4回目の地震に色々と妄想してしまう)

ちなみに私が松山のアパートで被災したら72時間以上は自力で過ごせる自信がある。
仮に電気が不通になっても困る電化製品はないし、ガスが止まっても問題ない、倒れる家具はない、飲料水はある、非常食もある、手回しラジオも懐中電灯もある。
家中キャンプの実力を発揮できそう!
でも、そもそもアパートが倒壊してしまったら元も子もないけど・・・。

思い出して涙。


令和5年度第3回目のジャパンFC理事会終了。ジャパンFCの役割は大きく2つ【全国各地のFCが繋がっているネットワーク組織】という役割と【日本のナショナル・フィルムコミッション】という役割があり、撮影の誘致&支援だけで評価を得られた時代はとうに過ぎて、成果や結果に新たな期待や可能性を見出している人がドンドン増えている事実。

その一つ、福島県に「相双フィルムコミッション」が先日誕生!

相双FCの特徴は広域連携で、14市町村(新地町、相馬市、南相馬市、飯舘村、広野町、楢葉町、川内村、富岡町、大熊町、双葉町、葛尾村、浪江町、田村市、 川俣町)を相双地区と設定して撮影の誘致&支援を開始。


早速、コマーシャルや配信作品の撮影支援をしたようだけど、この地域は“福島第一原発の原子力災害により、多くの地域で避難を余儀なくされましたが、現在は一部の地域をのぞいて住民が生活できるようになり、復興に向けて新たな歩みを進めるエネルギッシュな地域です。”とウェブサイトの紹介。

長年、地域づくりに携わっている者からみると、復興+@の地域づくりをフィルムコミッションを通して描いているんだと思うと勝手に感慨深くなる(涙)。

撮影隊にしてみれば、撮影の支援だけで十分!と思うかもしれないけど、20年以上も成果を出し続けると、FC自体が地域づくりと言っても過言じゃない気もして、今は天国にいるFCに携わってきた人たちを思い出したり(涙)。頑張ってるよー!

2024年4月18日木曜日

一人でほくそ笑む。


(ナニコレ!)と、突如目の前に現れた輪っか状の歩道橋。普段の散歩場所より、少し離れた場所だったので全く気づかず。
正式名称「南大沢輪舞(ろんど)歩道橋」全周169.646m、直径54.0m。歩道橋上にはアーチが4箇所に架かってる。

交差点の上に存在していて、迫力十分と言うかセットのよう。
直ぐに(ドラマで使われそうだな・・・)と思うも大正解で「この声をきみに(NHK/2017)」「わにとかげぎす(TBS/2017)」、「ダンダリン労働基準監督官(日本テレビ/2013)」「プロポーズ大作戦(フジテレビ/2007)」など多数の作品に出てた。
フィルム・コミッションとしてロケ地選定の目利き力はあったようで、一人でほくそ笑む。

この辺りは「毎度おさわがせします(TBS/1985)」が撮影された近くでもあり、当時中学生、思春期真っ盛りの少年だった私は、今を全く予想もできず撮影現場に遭遇したのを思い出す。ほんと、よく遊んでた公園がロケ地になってた。

話を戻して南大沢輪舞歩道橋にあがると、どこへ繋がっているのだろう?と興味本位であがってみると、どこにも繋がってなかった・・・。
単に169.646mの全周を歩けるだけで上り下りの階段が四箇所あるだけ。
ここで撮影すると印象的なシーンにはなるけど、それは演出の力が大きいと実感。
最初に見つけた製作部はスゴい!ロケハンって面白い。

学生たちの顔芸。


「ボランティアは地域や社会、誰かの役に立ちたいから。」と言う貢献意識が多い中で、NPO法人は「地域の課題解決に設立、事業を始める。」と紹介。

愛媛県には700超のNPO法人が承認されているから「県内には700以上の課題が存在しているということだね。」と伝えると、!!!な顔をした学生たち。
「でも、課題に立ち向かっているNPO法人が県内に700以上あるって心強くない?」とも分かり、フムフム顔の学生たち。

「だけど177のNPO法人が既に解散してるんだよね。」と伝えると、今度は???な顔の学生たち。
先日の市民活動報告会でもあったように、メンバーの高齢化や減少、活動資金不足などで事業が継続できなくて・・・と伝えると(あぁ、“やっぱり”難しい活動なんだなぁ)という無表情な学生たち
やはり“解散”と言う言葉には負のイメージが多い。

解散した177法人の中には当初に掲げた課題を解決した!目的を達成した!という理由で解散したNPO法人もあるから、決して悪いイメージだけで解散を判断しないように。と添える。

私はNPO法人の究極の目標は解散だと思ってます。
だって、設立時に掲げた課題を解決できたら、解散してもいいでしょ?と続けると、キョトンした顔の学生たちだったけど「それ(=解散)もアリ!が腑に落ちました。」「目的を達成できる活動って素晴らしい!」など、学生たちは授業後のコメントで思い思いの感想を寄せてくれ「ボランティア、NPO(法人)に興味が出ました!」とも。

2024年4月17日水曜日

永遠の謎、解けない問い


「色々な知見が得られる“ゼネラリスト”でしょう!」「いえいえ、専門知識がある“スペシャリスト”に憧れます。」「いやいや、スペシャリストなんて“聞こえ”はいいけど、他にできることが無いんだから。要は“潰し”が効かない。他の仕事ができないってコトだからね。」「でも一つのことに深い知見があるじゃないですか?ゼネラリストは広く浅くの仕事だから“代え”がきくんですよ。だから異動できるんです。」と双方譲らない。

永遠のテーマ、解けない謎。隣の芝は・・・的な話は(失礼だけど)面白い。
でも時々、矛先がこっちに向いて双方から同意を求められるけど、どっちつかずの風見鶏、嗚呼、天秤座の宿命か。

「お互いに役割があって、頼り頼られなんだから、それでいいんじゃないの?」と“回答っぽい”意見(一応、本質的と思ってるけど)を言うと「ズルい!」と言われる。
そして二人というか周りから一斉攻撃される。

「(車の)免許もなくて、一体どうやって愛媛県を回ってるんですか?」と言われれば「LINEもしてなくて仕事面で言われませんか?」など、好き放題(笑)。「みんなに寄生しながら生きてます。」が精一杯。

「まぁ、一人だけだから、まだいい(許せる)よね。こんな人がたくさんいたらメンドーだよね。」と話が落ち着きそうになる。

ひと昔は「酒が飲めなくて仕事ができるもんか!」と言われたこともあったけど今はなくなった(いや、あるかもしれないけど知れ渡った!?)。今はLINEの方が問題!

健全な悶々。


「ボランティアに見返りを求める人って、やっぱり多いと思います。私は無償のボランティアに費やす時間があるなら、その時間はアルバイトをしてお金を稼ぎたいと考えてしまいます。お金以外でボランティアの価値と言ったら就活に役立つ程度でしょうか?」的な意見。

至極真っ当で健全な悶々。ボランティアって自由意志なのに、強制的に参加させられたり、単にツールとして使われると「タダ働きじゃん。」と思うのも無理はない。私も最初はそう思った。
本質に触れる機会がないのに、核心を得られるはずがない。
かと言って、人生経験や社会経験が未だ浅い学生時代に本質や確信を得てしまうのも、聖人君子のようでちょっと怖いとも思ったり・・・。

世の中の価値をどう見るか?測るか?と同じで、全てを貨幣価値で測るか?もしくは非貨幣価値でも測るか?で全く異なる。

一言で言えば、貨幣価値で得られる価値は貨幣が基準になっているので、貨幣を持っている人なら誰でも同じモノ(同一性や同質性)が得られる。

それに対して非貨幣価値は貨幣では得られないので自身の経験から得られるモノが多い。すると、それは他人と同じではない自分だけしか得られないオリジナリティが強い。

「どっちがどっち」という話ではなく、両方存在することを次回で紹介予定。
こういう健全な悶々を授業早々から赤裸々に教えてくれるって嬉しかったり、楽しくなってきた!

2024年4月16日火曜日

親は。


「やっぱり、これまで親に言ってたコト、してもらったコトを考えると就職先は親の希望も叶えないとな・・・という感じですね。」と突然のスタート。
県外での就職が決まっていたものの、親のコトを考えて内定を蹴って県内での就職に変更した学生を思い出す。

「自分はどうしたいの?」「まぁ、色々あるんですけど、やっぱり、これまで親にしてもらっていたコトと違う(選択をする)と親も可哀想でしょう。」「そうなんだ・・・。」と、なぜ私に相談のような意見なのか?後押しなのか?何を求めているだろう?とよぎる。

「でもさ、本人が最も進みたい道に進んでくれるのが、親にとっても一番嬉しいと思うよ。」と返す。
(これまでの恩義に報いるために、自分が我慢するなんて、もったいない!いつの時代?)は声に出せなかった心の声。

多くの親は我が子へ、これまでに注いだリソースに見返りを求めていない。
平たく言えば一緒に夢を見させてもらえる“投資”で、それだけで十分な価値(対価)があると思うのは変な考えかな?お釣りが出るくらい。

どうしても親の気持ちに応えたいなら、我慢しなくても最初は親も安心する職業へ経験を積むために就職し、その後キャリアップに自分を叶える職業へ転職するのもアリ。

我が子の心身が充実していたら、何をしてようが親は嬉しいはず。
これは私の職業を長年、理解できていなかった両親からポロリと出た言葉で得た心境。

想像とは違う。


「これは美味しいですね!」と想像していた味?と違っていたようで、思いの外、喜んでくれたのが大黒屋うどん「大黒うどん+バラ寿司(東京でいう“ちらし寿司”)セット」。

「なんで“ちらし寿司”ではなく“バラ寿司”なんでしょうね?」「そう言えば、“タルト”も(ごくフツーに知られているモノとは)違いますよね?」「“からあげ”も違うんですよ。」「???」「センザンキとか骨付き肉をカラアゲとよぶ地域もあるんですよ。」とご当地ネタをブッコム。
ちなみに今治で“焼き鳥”と言えば鉄板で重しで焼かれた鶏肉(皮)。

大黒うどんに話を戻す。コロナ前に食べた記憶なので4-5年ぶりの味。うどんが見えないほど覆った錦糸卵、海苔、ネギを混ぜて食べると、白胡麻(エキストラ白胡麻はテーブルにあり)、生姜、天かすとも絶妙に混ざり、風味や歯応えも加味されて「美味しい!」と唸らせる。
ついでに、少し甘めのバラ寿司は味変の役割を果たして箸が進む。

頼んだ大黒うどん+バラ寿司のセットには、「茶碗蒸し&ぜんざい」も付属して大満足。
案の定、これで一仕事終えた気分だったけど、実はこれから本仕事だった件。

さらに言うと、元々、大黒屋で食べるつもりはなく、道を間違えないようにした目印だっただけに「なんだか棚ぼたで(美味しくて)ラッキーでしたね!」となる。

2024年4月15日月曜日

アイデアは。


ロケ弁について発信してるから「弁当に詳しい人」と思われたのか?
ココ大付属学園でも子ども達の昼食は保護者を悩ませたり時に苦しめたりした。ココ大付属学園へ通う家庭は留守がちが前提なので、保護者が朝に余裕をもって昼食を作る時間はないと推察。

特に夏は30回以上の昼食を用意する必要があり、自身の昼食を弁当に詰める延長で子供の弁当も詰めたり、冷凍食品や前日の余りなども活用しながら作るが現実(と我が家を振り返る)。

そこへ「弁当(配達)ビジネス」の相談があったのは昨夏。パッ!と見はGOOD!だったけど「〇〇時までに注文受付」「最低注文数は〇〇個以上」「入口まで取りに行かないといけない」などの事業者都合のほか、値段もビミョーで利用を諦める。

そこへ今度は別会社から「弁当(配達)ビジネス」の相談。今後も増える需要に商機を感じたようだけど、上記のように事業者都合で事業化を考えても持続化は難しいと、正直に申し上げる。

ロケ弁は一個800円前後。仮にこの値段で保護者が子供の弁当を頼むだろうか?30日間注文したら24,000円!仮に500円/個でも30日間で15,000円。色々とよぎって当たり前。

それに弁当の場合、毎回プラゴミなどが出るのも問題。だから個人的には「昼食をつくる時間」を時間内に設けて、みんなで温かい昼食を作るというアイデア。
いわゆる「食育」の範疇で、相乗効果や付加価値も得られると思んだけど。

どこで何に繋がるかは分からないけど。


令和6年度のフィルム・コミッション事業は既に始まっていて、早速の撮影相談もあり、協力者へ依頼などしてる最中。愛媛県、松山市役所とも今年度の攻め方などの打合せも終了。

「はい、泉谷さんの分です。」と「がんばっていきまっしょい(アニメ版)」のチラシと大判ポスターも預かる。
公開まで「まだ半年も」なのか「もう半年しか」かは人それぞれだけど配給の松竹の気合い&熱量は高い。PRも始まり、こんなにも期待や想いを醸成できるアニメ作品って少ないかも。
ポスターはJFC事務局にも貼ろうかな。

そこへ原作者の敷村良子さんから激励メッセージが届く(実は以前に新潟でお会いしてからのご縁)。
こういう点が長年フィルム・コミッションをしてると得られる良い所。“繋がり”ともいう。

ドラマ版(2005年)の撮影支援当時、アニメ版が19年後にできるなんて知る由もなく、またこうして携われた巡り合わせには感謝しかなく、あの時の経験(再撮影や山火事騒ぎ、台風など色々あったけど楽しかった思い出。)が今回にも活きてると思うと感慨深い・・・。

何が言いたいかと言うと、(自分なりに)真摯に目の前と向き合えば、その先、何かで繋がる&実るかもしれないということ。成果は先に実らない。

2024年4月14日日曜日

0.0003円/歩。


早朝散歩に飽き足らず夕方は松山城へ散歩。ここ数日は暑くて半袖をひっぱり出して着ると(あぁ、減量しないと・・・)となる。
山頂広場は外国人観光客でにぎわい、中国人、韓国人の他に、欧米系、東南アジア系の方も多く、桜が散る様子に「Oh!Look,Look!」と感動しながら撮ってた。
風に吹かれてヒラヒラと桜の花びらが散る光景は日本人が見ても良いと思うもの。
地元のテレビ局も取材してた。

そのまま県庁裏道を歩いて城山公園に出ると、初めて「三つの球をジャグリング」しながら走るランナーを見た!犬と一緒に走る人もいれば、友達と走ってたり、いい光景。

今週も60,000歩以上歩き、CokeONアプリでは歩き続けたご褒美のクーポン券もゲット。
このクーポン券は“ただ歩けばいい”だけでもらえて、計算上35,000歩/週×15週=525,000歩以上で、自販機からお好きな飲み物が1本もらえる。

仮に160円のお茶をクーポンで貰おうとすると、160円÷525,000歩=0.0003円/歩(3333歩≒1円)という計算。
1歩にも値段(価値)がつくのか・・・という感じ。たかが1歩、されど1歩。

ちなみに、楽天ヘルスというアプリでは5,000歩/日歩き続けると日々クジが引けて、1ポイントから10ポイントまでがランダムに得られる。
ポイント=円だから、1年歩くと500ポイント(円)とほどつく計算。

嗚呼、悶々!

ココでも撮影予定だった!

個人の意見です。やはり「映画を観る」は「イベントに参加」になったんだなと。
名探偵コナンの最新作が公開初日に63万人の動員で9.6億円という興行収入でロケットスタート。シリーズ歴代最高の興収138.8億円を持つ前作(26作品目)を超すと予測。
今作が27作目だから、一体どういうこと?配信でも過去作が一気に見れるのもPRの一環か。

敬愛するジョージ・ルーカス(今年80歳!)が、今年の第77回カンヌ国際映画祭で名誉パルムドールの受賞が決まったというニュース。
スター・ウォーズと出会い、高校時代から自伝を読み(特に「スカイウォーキング/デール・ポロック著(1997年)は今も手元にある)、THXの図録を読んだり、映画という世界に進みたいと思わせた一人。おめでたい。

NETFLIXで「恋は光」が配信されてた。登場人物名の西条、北代、東雲、大洲、花園などは愛媛の地名。チクショー!なかなかの良作品だったではないか!

コロナ禍真っ只中で愛媛では撮影ができず、急遽の撮影は気苦労も多く、大変だったと思う(岡山県FC協議会が撮影支援)。

でも!大学(構内)も釣具店も商店街も路面電車も公園も川(鹿島から変更されたと思われる。)もカフェも美術館も家も全部、撮影準備も整えていたから、写し出されるシーンにいちいち雑念が入って悶々とする。
リブート求める!

2024年4月13日土曜日

数字でココ大付属学園。


3年目が終了したココ大付属学園の総決算!令和5年度のココ大付属学園は、のべ52日間実施(夏休み34日間、冬休み7日間、春休み11日間)。

のべ参加児童数は1523人、一日平均29人という結果。定員は40人/日なので、この数字を30人以上に押し上げられたらと思う反面、単に申込数を増やせばいいという話でもないので悩ましい(申し込んでも体調不良などで休む子もいるし)

一年間でココ大付属学園に申し込んだ児童数は計258人。強引な計算をすると一日の参加費(1100円/人)で1,675,300円。年間登録料(2200円/年人)で567,600円。合計すると224万2900円となる。これに松山市からの補助金が加算された額が事業運営費となる。

収支決算をみても、収入は年度当初に立てた予算額よりも増額だったけど、支出も予算額よりも増額だったのでイーブンという感じ。支出の多くは人件費に充当される。
だから助成金などを申請して内容の充実を図ったりしてるわけ。

時々「儲かるんですか?」と、尋ねられるけど官設民営事業に儲かる視点はないし、そもそも儲けのためにしてるわけではない。「儲ける」と「稼ぐ」は違う。

これが民設民営事業だったら、やり方は色々とあるかもしれない。仮に参加費を倍の2200円にすると参加者負担も倍増してしまい、参加者の激減は目に見えてる。

そんな所へ「相談がありまして・・・。」と某社から相談が入る。

こんな時に限って!


3種類の報告書を提出完了!締切前に提出できて一安心、再提出がないことを願う!
資料の作成は苦ではないけど、今回は悩まされた。と、言うのも作成資料をPDF化しようとスキャナーに読み込ませると、ガタガタッと鈍い音がしてズレ、汚い読み込み結果となる。何だろう?と用紙を整えて一枚ずつ読み込んでもダメ。
機器を開きガラスや鏡を見ても問題なかったけど、用紙送り用のゴムローラーの一つが溶けてた!

(えっ!こんなコトあるの?)という感じ。ゴムローラーは4つあるのに一つだけが溶けて悪事を働いてた。他は異常ナシと思えたので、部品を探そうとメーカーサイトを見たら、この機種は12年前の製品!と分かるも、そもそも純正パーツは無かった。
うーむ、稼働回数が少なくなったとは言え、12年前から故障もせずに動いてたのか。

そして、同じような症状の方もいて強者はホームセンターで似た材質のチューブを再利用したり、3Dプリンターで作成していたり、メルカリで自家製ゴムローラーを販売していたり、“困りごとに商機アリ”を身をもって知る。思わずクリックしそうになったもの・・・。

結局、今回は時間も無かったことから手間をかけて終えたけど、本体は壊れてないのに一部の軽度なパーツが不調の場合、やはり自分で(手作りで)直すしかないのだろうか?
それにしても、どうして溶けてしまったのか?は謎。

2024年4月12日金曜日

これがインパクト。


先日のヒメブタの会代表の森さんの声がけで集まったメンバーから早速、自主映画を撮りたいので相談に乗って欲しいと正式にえひめフィルム・コミッションに問い合わせ。
該当地域に連絡すると話が通ったようで撮影準備に入るそう。OK!

自主映画を撮りたい人は他にもいて、構想が出来上がったと相談が入る。こちらはまだロケ地決定までは至らずだけど、撮影は決めているので諸々が整い次第、撮影支援に入る予定。

他にも自主映画を撮りたいと思う人がいたり、ヒメブタの会も先日の会合の時に「今年は制作したい」と意気込みを語っていた。
松山出身の西山監督も現在は長編映画の編集中(撮影は2023年に終了)。

全てがフィルム・コミッションによる波及効果(インパクト)とは言わないけど、少なからずとも「撮影ができる愛媛」「撮影がしやすい愛媛」と思われたい。

「泉谷さんは撮らないんですか?」と時々、言われるけど、この先もカメラを構えることもカチンコを叩くことも監督のように振る舞うことも無い。
あんな大勢の撮影隊を統率するなんて大変!

でも物語は書いてみたい。なぜならフィルム・コミッションをしていると、面白いエピソードと言うか出来事が多くて、かなり貴重な(特殊な)体験をしてると思うから。
フム、生成AIで動画制作も可能になったとのことだから、それならアリと思ったり。